2007年07月25日
ヨシズ と 打ち水
居は、天気予報ではクモリ、
そのクモリ具合が薄くて 暑くなりました。
3時を回って西日が当たるようになって、
西の壁のタイルは水平だったら 卵焼き出るかと思うくらい。
この壁に本当は ヨジヅを立てかけてやると
壁の暑さはものすごく低くなるんです・・・
しかし、しかし、、、
打ち水は、効果ありですね。
毎年していることですが
風呂の残り湯をバケツに入れていて
夕方それで打ち水をします。
結構涼しくなるモンです。
と、いいつつ キライなエアコンの試運転をしてます。
そのクモリ具合が薄くて 暑くなりました。
3時を回って西日が当たるようになって、
西の壁のタイルは水平だったら 卵焼き出るかと思うくらい。
この壁に本当は ヨジヅを立てかけてやると
壁の暑さはものすごく低くなるんです・・・
しかし、しかし、、、
打ち水は、効果ありですね。
毎年していることですが
風呂の残り湯をバケツに入れていて
夕方それで打ち水をします。
結構涼しくなるモンです。
と、いいつつ キライなエアコンの試運転をしてます。
2007年07月25日
旅の記録 上越3日目 その2 謙信ゆかりの林泉寺
2005年5月12日 4日目 (上越3日目)
謙信居城・春日山城の遺構のあるという 林泉寺
ホテルから自分の思い込みの加賀街道を走ってきて、間違った道を走ったり、道に迷いかけたりしたものの、車は春日山の方に向かった。ここで途中に「林泉寺」と書かれているので、前日行かなかった林泉寺に車を向ける。一人旅とは、こうして、臨機応変に行き先を買えることができる。(単なる負け惜しみ)
まったくほかに車もいず、どこに行くのやらという感じの道を少し進むと、小さな看板に「林泉寺」と書いてある。もうひとつ向こうの道にも書いてあるが手前の道を右折して ん?? この先どうするの?直進と左に分かれる。看板には矢印がないような・・・・さっきの道にもうひとつ向こうにも寺の名があったからと左折を選ぶ。
これは、珍しい、今回の旅ではここまで全部右を取ってきたのに、これで正解のようで広い広い駐車場がある。たった一台車が止まっている。静かです。本当に静かです。
車を止めて門のほうに歩く。古い門だ。これが春日山城から移設した城門とのことだ。まあ、寺の山門を見慣れている私は、本当にどうということのない城門だ。謙信ゆかりの地を訪ねるのを目的としているのなら違った印象になるかもしれないが、綿日は単に「いってかねば」問い程度なのだ。
。この門の右になんと関所=料金所がある。この関所で500円を支払わないと中には入ることができない。上越に来て3つ目の料金の必要なところだ。もっとも支払うのは2回目。
これまで料金がいるという場所は、高田城公園の櫓の中に入るとき、浄興寺の宝物殿を見るとき。支払ったのは浄興寺だけだ。今回はこのように関所があるというのは初めてだ。
女の方が切符売り場でお待ちである。(かなり暇そう)500円をお支払いして、中に入る。
城門に比べると格段に立派な山門を通り抜けると正面に大きな本堂、かなりきれいで、つい最近建て直したのではないかと思う。本道の左には上杉家代々の墓が並んでいる。ちょっと上っていくのだが、正直興味がないので下から写真を取って終わり。500円払ったからもっとゆっくりしていけばよさそうなものだが。それにしてもここの500円は正直私には高く思える。反対側には宝物殿がある。何があるのかと入ってみる。浄興寺でもそうだったが、ここでも宝物には正直裏切られる。まあ、私には興味のないものが展示されている。
この宝物殿にひとりの男の方がおいでになる。恰幅に言い方で、いろいろと説明をしてくださるのだが、これといって興味を引く話もあまりなく。(興味がないのは、この方の問題ではなく、私の目的が「謙信」ではなく「親鸞」だからなのだ。)
ただ、織田信長の軍勢がここまで攻めてこなかったのが、歴史的に幸運だった。上越の町、上杉がある程度江戸にまで持ちこたえたのは、信長の攻撃を受けることがなかったからではという話。確かに、親知らず子知らずの難所を大軍勢が超えることは難しかったかもしれない。信玄も川中島で終わりだ。妙高を越えてきてはいない。山や海がこの地を守ったのだろうと。しかし、江戸に入って、上杉家は山形に封印されてしまうということになる。
そんな話を聞いて、林泉寺を後にする。
** 次回は、五智国分寺の 奥の院 を目指す **
謙信居城・春日山城の遺構のあるという 林泉寺
ホテルから自分の思い込みの加賀街道を走ってきて、間違った道を走ったり、道に迷いかけたりしたものの、車は春日山の方に向かった。ここで途中に「林泉寺」と書かれているので、前日行かなかった林泉寺に車を向ける。一人旅とは、こうして、臨機応変に行き先を買えることができる。(単なる負け惜しみ)
まったくほかに車もいず、どこに行くのやらという感じの道を少し進むと、小さな看板に「林泉寺」と書いてある。もうひとつ向こうの道にも書いてあるが手前の道を右折して ん?? この先どうするの?直進と左に分かれる。看板には矢印がないような・・・・さっきの道にもうひとつ向こうにも寺の名があったからと左折を選ぶ。
これは、珍しい、今回の旅ではここまで全部右を取ってきたのに、これで正解のようで広い広い駐車場がある。たった一台車が止まっている。静かです。本当に静かです。
車を止めて門のほうに歩く。古い門だ。これが春日山城から移設した城門とのことだ。まあ、寺の山門を見慣れている私は、本当にどうということのない城門だ。謙信ゆかりの地を訪ねるのを目的としているのなら違った印象になるかもしれないが、綿日は単に「いってかねば」問い程度なのだ。
。この門の右になんと関所=料金所がある。この関所で500円を支払わないと中には入ることができない。上越に来て3つ目の料金の必要なところだ。もっとも支払うのは2回目。
これまで料金がいるという場所は、高田城公園の櫓の中に入るとき、浄興寺の宝物殿を見るとき。支払ったのは浄興寺だけだ。今回はこのように関所があるというのは初めてだ。
女の方が切符売り場でお待ちである。(かなり暇そう)500円をお支払いして、中に入る。
城門に比べると格段に立派な山門を通り抜けると正面に大きな本堂、かなりきれいで、つい最近建て直したのではないかと思う。本道の左には上杉家代々の墓が並んでいる。ちょっと上っていくのだが、正直興味がないので下から写真を取って終わり。500円払ったからもっとゆっくりしていけばよさそうなものだが。それにしてもここの500円は正直私には高く思える。反対側には宝物殿がある。何があるのかと入ってみる。浄興寺でもそうだったが、ここでも宝物には正直裏切られる。まあ、私には興味のないものが展示されている。
この宝物殿にひとりの男の方がおいでになる。恰幅に言い方で、いろいろと説明をしてくださるのだが、これといって興味を引く話もあまりなく。(興味がないのは、この方の問題ではなく、私の目的が「謙信」ではなく「親鸞」だからなのだ。)
ただ、織田信長の軍勢がここまで攻めてこなかったのが、歴史的に幸運だった。上越の町、上杉がある程度江戸にまで持ちこたえたのは、信長の攻撃を受けることがなかったからではという話。確かに、親知らず子知らずの難所を大軍勢が超えることは難しかったかもしれない。信玄も川中島で終わりだ。妙高を越えてきてはいない。山や海がこの地を守ったのだろうと。しかし、江戸に入って、上杉家は山形に封印されてしまうということになる。
そんな話を聞いて、林泉寺を後にする。
** 次回は、五智国分寺の 奥の院 を目指す **
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名古屋から軽井沢 その2 | 朝のお勤め 高田・専修寺 |
軽井沢から達磨寺 | 高田・専修寺 その2 |
達磨寺から高崎・前橋 | 稲田・西念寺 |
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