2007年07月22日
旅の記録 上越2日目 その8 寺町と浄興寺
2005年5月11日 3日目 (上越2日目)
上越市高田寺町の浄興寺 地図
記念堂でお食事のお邪魔もあまりできないので、退散することにした。
車を国分別院に向ける。別院の境内に入って、ゆっくり歩いていたら、先ほどのご夫婦にまた出会う。袈裟掛けの松跡の前で記念撮影をも頼まれた。
このご夫婦、上越の寺町をご存じないようだ。浄興寺に聖人のご真骨があることもご存じないと思う。そこで、教育委員会でもらった寺町の冊子を差し上げ、ぜひ訪問されることをお勧めする。また、この近くにある光源寺には行かれたのかたずねるとまだとのことなので、光源寺には赦免状といわれているものがあることなどをお教えし、訪問されることもお勧めした。(おせっかいが過ぎるなぁ。と後々反省しきりである。)
ここで私は、北国街道の南進をするべく国分別院から右のコースをとる。国道8号線を超えて、そのまま直進するのだが、どうも昨日から方向感覚に狂いがあるようで、右にとってしまった。何かちがう雰囲気だ。「ものがたりの館」というものがある。女の人は掃除をしているが、誰も観光客らしい人はいない。「毘」の文字の書かれた旗、のぼりが林立している。どうも上杉謙信の春日山城の再現といった感じだ。しかし、なんか変だ。
すぐにもとの道に戻ることができる。元に戻って道なりに進むと今朝来た春日山町の交差点に行き着く、ここを過ぎたところでまた道が分かれる。またしてもここを右にとってしまう。ここも雰囲気が変。車を止めて元にもどうるが・・・ (実は、右に行くのがこのときは正解だったのだが)
元に戻したものの高速どおりにぶつかるところでまた気持ちが迷う。この高速道路を私は上信越道と思ったのだが、そうするとこれをくぐると上越市から離れることになる。という勘違い。体調を崩したことで余計にお起きか勘違いを生んでいる。
心配になって車は高速をくぐらずに高速に沿ったわき道に入る。そして広い道に出たところで左折、そして次の大きな交差点で右折。もう完全に方向感覚をなくしている。どこを向いて走っているのかわかっていない。しばらく走って、橋の中央に黄色いアーチがあることで、やっとどこを走っているのか理解ができた。謙信公通りを東に走り、謙信公大橋にいたのだ。私は知らない道を南に走っていると思っていたのに。
いる場所がわかったところで、どこに行き着くかはわかっているのでそのまま直進。そして朝行ったJASCOに車を入れて薬屋に行く。実は、最初の2日間の長距離ドライブで完全に体調を崩し、下痢ではなくて便秘になってしまい。昨夜はほとんど眠れないくらい苦しんだのだ。それがこうした方向を狂わせる原因にもなっているのだ。
薬屋で、便秘薬を買う。飲み薬にして、早く処置をしたいという気持ちが大きい。薬を買ったときが大体1時ころか。ホテルのチェックインは2時なのだ。体調を崩しているので多少早めにインできるように頼んではなるが、そうは甘えられないので、寺町に行くことにした。そこで北国街道に戻り、そこから寺町に入ることにした。
北国街道へは、上越大通りの途中からこれも右折するのだが、この交差点も間違えて進入したのだ。もっとも、それはそれであってはいたものの、自分の頭の中にはどこをどう走ったのかは記憶に残らないほどである。それにしても、偶然とはいえ北国街道に出たので、何とか寺町に行き着くことができた。
さてこの寺町なのだが、ここも結構間違いやすいところで、案の定浄興寺に行く道を間違えて、余分な走りをしている。それでも行き着いたのは過去2階の訪問の記憶が多少なりともあったからか。
正規の駐車場に車を入れたが、どうもそうではなくても大丈夫なようなので、境内に車を移動させた。たまたま空きがあったので、そこに駐車。新しい本堂がここから見えるところだ。何を隠そう、庫裏の前だ。前回は、ここは工事中で歩くのも大変だったのだ。その本堂などの改修工事も昨年終了したはず。親鸞聖人廟も元に戻されているはずだ。
本堂に上がるのは初めてだ。本道の正面に回り、階段を上がる。これまでいろいろ見てきた真宗寺院のどの建物とも違う。建て方そのものが違うのだ。ここは、真宗九派の中での浄興寺派の本山である。もっとも名古屋あたりには浄興寺派の寺はないだろう。東西の特に東本願寺の力の強い土地柄だから、東西以外の末寺はないのではないかと思う。京都にはあるのだろうかと考えてみるが、まずはないだろうなぁなどと。。。
元は栃木県の稲田にあったのものが時代の流れとともに長野に移り、さらにこの上越高田に移ってきて、そして最後に寺町建設でこの地に落ち着いたとのことだ。つまりはこの浄興寺は関東真宗教団の流れを汲んでいるのだろう。
本堂に入って、びっくり。東西本願寺、高田専修寺では親鸞聖人像があるが、ここは阿弥陀如来の立像だ。どちらかといえば、本来ある姿に近いということではないか。親鸞像があるということは、仏教ではなく親鸞教になると思われるが、ここは親鸞像ではないのだ。
阿弥陀の如来の立像。どちらかといえば、これでも本来の親鸞の教えとは違うのだ。まあ、寺そのものの存在が親鸞の教えとは異なるのだから、どうしようもないのかもしれない。
親鸞は、あちらこちらの○○字名号を多く残している。これは、国策ではない、しかも貧乏な農民集団に立派な仏像の製作を求めるなどは無理だということから、紙に書いた名号を代わりににさせたのだと私は思っている。寺は持つまい、弟子は持たないといってきた親鸞が、このような寺すら抵抗を感じるのではないかと思う。
本堂を出て階段を下りようかと思ったら、あのご夫婦がおいでになっている。またご一緒になりましたねと声をかける。このお二人も、中に入られて、ちょっと驚かれているようだ。おそらく本願寺とは違う雰囲気を感じられたのだろう。
本堂を出て、ご真骨のある廟へご案内する。ここでも、記念撮影を依頼された。
この跡、板倉町の恵信尼公廟所へお行きになるとのことだ。
私は、ホテルに戻る。正直眠いのだ。
** 次回は、再度 上越市役所 **
上越市高田寺町の浄興寺 地図
記念堂でお食事のお邪魔もあまりできないので、退散することにした。
車を国分別院に向ける。別院の境内に入って、ゆっくり歩いていたら、先ほどのご夫婦にまた出会う。袈裟掛けの松跡の前で記念撮影をも頼まれた。
このご夫婦、上越の寺町をご存じないようだ。浄興寺に聖人のご真骨があることもご存じないと思う。そこで、教育委員会でもらった寺町の冊子を差し上げ、ぜひ訪問されることをお勧めする。また、この近くにある光源寺には行かれたのかたずねるとまだとのことなので、光源寺には赦免状といわれているものがあることなどをお教えし、訪問されることもお勧めした。(おせっかいが過ぎるなぁ。と後々反省しきりである。)
ここで私は、北国街道の南進をするべく国分別院から右のコースをとる。国道8号線を超えて、そのまま直進するのだが、どうも昨日から方向感覚に狂いがあるようで、右にとってしまった。何かちがう雰囲気だ。「ものがたりの館」というものがある。女の人は掃除をしているが、誰も観光客らしい人はいない。「毘」の文字の書かれた旗、のぼりが林立している。どうも上杉謙信の春日山城の再現といった感じだ。しかし、なんか変だ。
すぐにもとの道に戻ることができる。元に戻って道なりに進むと今朝来た春日山町の交差点に行き着く、ここを過ぎたところでまた道が分かれる。またしてもここを右にとってしまう。ここも雰囲気が変。車を止めて元にもどうるが・・・ (実は、右に行くのがこのときは正解だったのだが)
元に戻したものの高速どおりにぶつかるところでまた気持ちが迷う。この高速道路を私は上信越道と思ったのだが、そうするとこれをくぐると上越市から離れることになる。という勘違い。体調を崩したことで余計にお起きか勘違いを生んでいる。
心配になって車は高速をくぐらずに高速に沿ったわき道に入る。そして広い道に出たところで左折、そして次の大きな交差点で右折。もう完全に方向感覚をなくしている。どこを向いて走っているのかわかっていない。しばらく走って、橋の中央に黄色いアーチがあることで、やっとどこを走っているのか理解ができた。謙信公通りを東に走り、謙信公大橋にいたのだ。私は知らない道を南に走っていると思っていたのに。
いる場所がわかったところで、どこに行き着くかはわかっているのでそのまま直進。そして朝行ったJASCOに車を入れて薬屋に行く。実は、最初の2日間の長距離ドライブで完全に体調を崩し、下痢ではなくて便秘になってしまい。昨夜はほとんど眠れないくらい苦しんだのだ。それがこうした方向を狂わせる原因にもなっているのだ。
薬屋で、便秘薬を買う。飲み薬にして、早く処置をしたいという気持ちが大きい。薬を買ったときが大体1時ころか。ホテルのチェックインは2時なのだ。体調を崩しているので多少早めにインできるように頼んではなるが、そうは甘えられないので、寺町に行くことにした。そこで北国街道に戻り、そこから寺町に入ることにした。
北国街道へは、上越大通りの途中からこれも右折するのだが、この交差点も間違えて進入したのだ。もっとも、それはそれであってはいたものの、自分の頭の中にはどこをどう走ったのかは記憶に残らないほどである。それにしても、偶然とはいえ北国街道に出たので、何とか寺町に行き着くことができた。
さてこの寺町なのだが、ここも結構間違いやすいところで、案の定浄興寺に行く道を間違えて、余分な走りをしている。それでも行き着いたのは過去2階の訪問の記憶が多少なりともあったからか。
正規の駐車場に車を入れたが、どうもそうではなくても大丈夫なようなので、境内に車を移動させた。たまたま空きがあったので、そこに駐車。新しい本堂がここから見えるところだ。何を隠そう、庫裏の前だ。前回は、ここは工事中で歩くのも大変だったのだ。その本堂などの改修工事も昨年終了したはず。親鸞聖人廟も元に戻されているはずだ。
浄興寺本堂
本堂に上がるのは初めてだ。本道の正面に回り、階段を上がる。これまでいろいろ見てきた真宗寺院のどの建物とも違う。建て方そのものが違うのだ。ここは、真宗九派の中での浄興寺派の本山である。もっとも名古屋あたりには浄興寺派の寺はないだろう。東西の特に東本願寺の力の強い土地柄だから、東西以外の末寺はないのではないかと思う。京都にはあるのだろうかと考えてみるが、まずはないだろうなぁなどと。。。
元は栃木県の稲田にあったのものが時代の流れとともに長野に移り、さらにこの上越高田に移ってきて、そして最後に寺町建設でこの地に落ち着いたとのことだ。つまりはこの浄興寺は関東真宗教団の流れを汲んでいるのだろう。
本堂に入って、びっくり。東西本願寺、高田専修寺では親鸞聖人像があるが、ここは阿弥陀如来の立像だ。どちらかといえば、本来ある姿に近いということではないか。親鸞像があるということは、仏教ではなく親鸞教になると思われるが、ここは親鸞像ではないのだ。
阿弥陀の如来の立像。どちらかといえば、これでも本来の親鸞の教えとは違うのだ。まあ、寺そのものの存在が親鸞の教えとは異なるのだから、どうしようもないのかもしれない。
親鸞は、あちらこちらの○○字名号を多く残している。これは、国策ではない、しかも貧乏な農民集団に立派な仏像の製作を求めるなどは無理だということから、紙に書いた名号を代わりににさせたのだと私は思っている。寺は持つまい、弟子は持たないといってきた親鸞が、このような寺すら抵抗を感じるのではないかと思う。
本堂を出て階段を下りようかと思ったら、あのご夫婦がおいでになっている。またご一緒になりましたねと声をかける。このお二人も、中に入られて、ちょっと驚かれているようだ。おそらく本願寺とは違う雰囲気を感じられたのだろう。
親鸞聖人の真骨を収めた廟所
本堂を出て、ご真骨のある廟へご案内する。ここでも、記念撮影を依頼された。
この跡、板倉町の恵信尼公廟所へお行きになるとのことだ。
私は、ホテルに戻る。正直眠いのだ。
** 次回は、再度 上越市役所 **