2007年07月21日
旅の記録 上越2日目 その7 親鸞聖人上陸記念堂
2005年5月11日 3日目 (上越2日目)
親鸞聖人上陸記念堂 地図
国分寺を後に、親鸞聖人上陸記念堂へ向かう。もう何度とこの前に立っているので、ごく当たり前のようにすんなりと車を駐車場にいれる。おお、ここも今日は人が多い。いつもほかには誰もいないのに、どうしたことかと。。。。
(後でわかったことだが、句会の人々がこの近くの寺を回って俳句を作っておいでのようだ。)
見晴台に立つが、佐渡は望めない。いや、目を凝らすと水平線に本当に薄く島影が見える。(「様な気がする」が正直なところ。)おそらく間違いないだろうと思うのだが。
ここで、記念撮影のシャッターを押すことを頼まれた。40代のご夫婦だ。手には数珠をお持ちでいらっしゃる。たぶん真宗の檀家の方であろう。(後でわかったことだが、広島の某寺の住職であられた)
一人旅をしているとよくシャッターを押すことを頼まれる。なぜ二人連れには頼まないのだろう。不思議だなぁなんて、思いながら、シャッターをあ押して差し上げる。この見晴台では、佐渡が見えると思っておいでではないようだ。こちらに佐渡が見えるはずなんですが。。。なんていいながら。今回は、私も佐渡を背景?にシャッターを押してもらった。こんなことは珍しいことだが。
見晴台の近くでは、件の句会の人たちが敷地内であちこち座り込むような格好で、まるでメモをとるといった姿で何かを書いておいでになる。実はこのとき句を書いているとは思ってもいなかったのだ。
それにしてもあのような姿、格好で区が詠めるものだろうか。本当目の前にある日に書かれている文章を写し書きしているという雰囲気なのだが。
そういった人々を尻目に、親鸞聖人の銅像やら片葉の葦やらをみて、見真堂に入る。聖人の坐像にお会いするためだ。何歳のころの姿なのだろうか、だんだん私の歳が近くなってくる。当然なのだが・・・・・・ いや、まだ30年あるぞ。
見真堂から記念堂に。記念堂の入り口前で、2年前にお話しした女性がおいでになる。本当は最初にここでお会いした記念堂をお守りされていた気品のあるかわいいおばあちゃま(林正寺の先の坊守)にお会いしたいのだが、もう94歳になられ、足を悪くされてこちらにはこれていないことは、前回聞いている。今回は、それに加えて足を折って入院されていると大滝氏が言っていた。
記念堂に入ってくる人は、あまりいないようだ。わたしはずうずうしくなかに入って、お茶を賜った。前回来たときの話や、坊守さんのはなしをする。坊守さんは、最近記憶が定かではなくなってこられたとか。自分の部屋を記念堂と思い込まれたりするようになってこられたとのことだ。
ということは、今お会いしてももう以前にお会いしたときの記憶はお持ちではないだろうし、何を話されるかもわからなくなってしまったということなのだろうか。
しかし、自分の部屋を記念堂と思い込まれるとは、この記念堂に命をかけてこられたのかもしれない。一度お会いしたときのあの気品と、その日は誰も訪問者がいないということでたった一組の私たちの訪問を喜んでいただいたあのかわいい雰囲気は、いまも私の脳裏に焼きついている。いつまでもお元気であられんことを心から祈っております。
お話をしている間にもうお昼を過ぎた、前回はここの女性はお昼を取りにご自宅に帰っておいでのようだが、今回はなんとご主人がお弁当を持ってこられた。このご主人、私よりひとつ年上で、目下就職活動中とのことだ。いろいろの話の中で、コンピュータに結構入れ込んでいて、しかもそれがマックであって、最近のWindowsについての愚痴も。基本的にMac使いの私にはうれしい話でした。
**次回は、上越市高田寺町の浄興寺**
親鸞聖人上陸記念堂 地図
国分寺を後に、親鸞聖人上陸記念堂へ向かう。もう何度とこの前に立っているので、ごく当たり前のようにすんなりと車を駐車場にいれる。おお、ここも今日は人が多い。いつもほかには誰もいないのに、どうしたことかと。。。。
(後でわかったことだが、句会の人々がこの近くの寺を回って俳句を作っておいでのようだ。)
見晴台に立つが、佐渡は望めない。いや、目を凝らすと水平線に本当に薄く島影が見える。(「様な気がする」が正直なところ。)おそらく間違いないだろうと思うのだが。
ここで、記念撮影のシャッターを押すことを頼まれた。40代のご夫婦だ。手には数珠をお持ちでいらっしゃる。たぶん真宗の檀家の方であろう。(後でわかったことだが、広島の某寺の住職であられた)
一人旅をしているとよくシャッターを押すことを頼まれる。なぜ二人連れには頼まないのだろう。不思議だなぁなんて、思いながら、シャッターをあ押して差し上げる。この見晴台では、佐渡が見えると思っておいでではないようだ。こちらに佐渡が見えるはずなんですが。。。なんていいながら。今回は、私も佐渡を背景?にシャッターを押してもらった。こんなことは珍しいことだが。
見晴台の近くでは、件の句会の人たちが敷地内であちこち座り込むような格好で、まるでメモをとるといった姿で何かを書いておいでになる。実はこのとき句を書いているとは思ってもいなかったのだ。
それにしてもあのような姿、格好で区が詠めるものだろうか。本当目の前にある日に書かれている文章を写し書きしているという雰囲気なのだが。
**碑の後の海の向うは佐渡です**
そういった人々を尻目に、親鸞聖人の銅像やら片葉の葦やらをみて、見真堂に入る。聖人の坐像にお会いするためだ。何歳のころの姿なのだろうか、だんだん私の歳が近くなってくる。当然なのだが・・・・・・ いや、まだ30年あるぞ。
見真堂から記念堂に。記念堂の入り口前で、2年前にお話しした女性がおいでになる。本当は最初にここでお会いした記念堂をお守りされていた気品のあるかわいいおばあちゃま(林正寺の先の坊守)にお会いしたいのだが、もう94歳になられ、足を悪くされてこちらにはこれていないことは、前回聞いている。今回は、それに加えて足を折って入院されていると大滝氏が言っていた。
記念堂に入ってくる人は、あまりいないようだ。わたしはずうずうしくなかに入って、お茶を賜った。前回来たときの話や、坊守さんのはなしをする。坊守さんは、最近記憶が定かではなくなってこられたとか。自分の部屋を記念堂と思い込まれたりするようになってこられたとのことだ。
ということは、今お会いしてももう以前にお会いしたときの記憶はお持ちではないだろうし、何を話されるかもわからなくなってしまったということなのだろうか。
しかし、自分の部屋を記念堂と思い込まれるとは、この記念堂に命をかけてこられたのかもしれない。一度お会いしたときのあの気品と、その日は誰も訪問者がいないということでたった一組の私たちの訪問を喜んでいただいたあのかわいい雰囲気は、いまも私の脳裏に焼きついている。いつまでもお元気であられんことを心から祈っております。
お話をしている間にもうお昼を過ぎた、前回はここの女性はお昼を取りにご自宅に帰っておいでのようだが、今回はなんとご主人がお弁当を持ってこられた。このご主人、私よりひとつ年上で、目下就職活動中とのことだ。いろいろの話の中で、コンピュータに結構入れ込んでいて、しかもそれがマックであって、最近のWindowsについての愚痴も。基本的にMac使いの私にはうれしい話でした。
**次回は、上越市高田寺町の浄興寺**
過去の記録 | |
2005年5月9日 | 2005年5月10日 |
名古屋から軽井沢 その1 | 栃木県二宮町の朝 |
名古屋から軽井沢 その2 | 朝のお勤め 高田・専修寺 |
軽井沢から達磨寺 | 高田・専修寺 その2 |
達磨寺から高崎・前橋 | 稲田・西念寺 |
前橋から専修寺 R50号線 | 水戸市河和田 報佛寺 |
栃木県真岡市で宿泊 | 報佛寺 坊守さんのお話 |
筑波山麓を走る | |
下妻市 小島草庵後 | |
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関越・花園~上信越・佐久 | |
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日本海の夕日 | |
2005年5月11日 | |
上越2日目 その1 | |
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上越2日目 市役所 | |
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上越 春日山城址 | |
上越 五智国分寺 |
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この記事へのコメント
はじめまして。私は、国分寺や上陸の地のすぐ近くに住んでいます。多分、作家?関係の方と思いますが、関心するくらい良く調べて書かれています。佐渡と弥彦が、遠くに青くはっきりと見える事があります。なんとも言えない気分になります。ご覧になっていない人には見せてあげたいと思いますが、運の良い人しか見る事が出来ません。字数の関係上、また後でメールします。
Posted by うみなり at 2007年08月14日 08:00
うみなり さん、コメントをありがとうございます。
私は、作家ではありませんが、書くのは大好きです。この旅の記録も、親鸞という人の生き様を知るために、旅をし、その見たままを書いているといったところです。 一昨年、昨年と2年連続で訪問しましたが、今年は訪問の計画はありませんが、好きになった町であり、そして佐渡を見るという念願を果たすために、またいずれ必ず訪問させてもらうつもりでいます。 佐渡の見える姿は、先日 群馬にお住まいの方から http://yuuraku03.hp.infoseek.co.jp/naoetu19624/img190624.jpg をご紹介いただきました。 この紹介記事は、http://monvil.mediacat-blog.jp/e9794.html にあります。
** 上越にお住まいとのこと、 中越沖地震の被害にあっておいででないといいのですが。
私は、作家ではありませんが、書くのは大好きです。この旅の記録も、親鸞という人の生き様を知るために、旅をし、その見たままを書いているといったところです。 一昨年、昨年と2年連続で訪問しましたが、今年は訪問の計画はありませんが、好きになった町であり、そして佐渡を見るという念願を果たすために、またいずれ必ず訪問させてもらうつもりでいます。 佐渡の見える姿は、先日 群馬にお住まいの方から http://yuuraku03.hp.infoseek.co.jp/naoetu19624/img190624.jpg をご紹介いただきました。 この紹介記事は、http://monvil.mediacat-blog.jp/e9794.html にあります。
** 上越にお住まいとのこと、 中越沖地震の被害にあっておいででないといいのですが。
Posted by 生田 at 2007年08月14日 08:02