2007年07月24日
旅の記録 上越3日目 その1 上越の加賀街道
2005年5月12日 4日目 (上越3日目)
北国 (加賀) 街道 を走る
前日は、上越市役所からホテルに戻り風呂に入って、風呂上りでベッドで寝転がっている間に5時間も眠ってしまった。前日ほとんど寝ていなかった反動だ。一旦目が覚めたものの、眠気はまだ続き食事もとらないまままた数時間後に7時間も寝ることになった。
(この日は、夕日を見に行こうと思っていたのに、果たせなかった。悲しい。)
朝の目覚めは、いいような悪いような。体調の崩れは極限に達している。食事が取れる状態ではないので、腹はすいているが、まだ食べることは無理だ。
上越に来て2回目の朝。天気予報では今日の昼から天気が危ないという。それに明日は松本に移動するから、今日中に、しかも雨の降る前に行くべきところに行っておこうと、無理を覚悟で動き始める。
まずは、小説に書きかけている浄興寺から北国街道への道順を確認しなければいけないことに、昨日気がついたのだ。
書いていることがどうもウソになっている。浄興寺から北に向かって北国街道(ものの本によると加賀街道ともいうらしい)へ出るのは田んぼ道を走ることになる。しかし、別な走り方がある。寺町の北を東西に走る道があるのだ。私は、この道を北国街道と思っていたので、とりあえず寺町の北の道に踏み切りをわたって入り込む。
寺町には行かず、右に道をとって進んでいく。途中に浄興寺方面と書いた案内板などがあるが、北国街道への案内はない。つまりは、私は寺町の北を走るのが北国街道と思っているからこれで当然ということになる。
そのまま走って山麓線の交差点もそのまま直進。 ん?交差点を超えてから、どことなく雰囲気がおかしい。どうも山の中に入っていってしまいそうだ。後になって地図で確認すると「愛の風公園」という方向を向いている。
とりあえず山麓線まで戻る。山麓線を北に上がると、左に新潟教育大学のキャンパスだ。(山麓線からかなり奥にある.) キャンパスの入り口の道路に車を入れて、教育大の建物の写真を遠いが撮る。キャンパスに入っても何もないだろうなぁ。。。なんて正直自分の気持ちに寂しさを覚えるが、この際無視だ。 教育大
また山麓線に戻って北上。ここから北国街道までは距離はない。実はこれまで気にしていなかったのだが山麓線と北国街道は斜めに交差しているのだ。私は、北国街道は南北に直進と思っていたが、昨日までの道に迷う原因になっていたのだ。昨日の迷いの反省で今日は確かな道を走ることができるようになった。
北国街道は、ここからどこをどう折れて海岸に出るのだろう。そこまでは書かれていない。北国街道は、実は高田までということのようで、その先は、加賀街道というのだろうか?加賀百万石前田藩の殿様の参勤交代のための道順のようだ。
**江戸の加賀街道の名残の松並木** 撮影場所
しかし、加賀藩の参勤交代は、妙高を越えたのだろうか?加賀街道としては、中越の長岡から今の関越自動車方向沿いにまわる道もあるようだ。この高田城を通り、妙高を越えて北国街道を行くのは脇街道ということになっている。
人間1千人馬5百騎という大行列が、妙高高原を超えただろうか。季節にもよるだろうが、妙高高原は夏でも結構涼しいところだ。そんな大行列の宿泊先(本陣)はあったのか?国道18号を走ったときには、本陣跡は気づかなかったが。もっとも、飯山街道はそれよりも厳しいかもしれない。
**ネット検索では、北国街道の野尻湖近辺に「野尻宿」「柏原宿」などの本陣跡があるようだ。**
** 次回は上杉謙信の居城 春日山城の遺構のある 林泉寺 **
北国 (加賀) 街道 を走る
前日は、上越市役所からホテルに戻り風呂に入って、風呂上りでベッドで寝転がっている間に5時間も眠ってしまった。前日ほとんど寝ていなかった反動だ。一旦目が覚めたものの、眠気はまだ続き食事もとらないまままた数時間後に7時間も寝ることになった。
(この日は、夕日を見に行こうと思っていたのに、果たせなかった。悲しい。)
朝の目覚めは、いいような悪いような。体調の崩れは極限に達している。食事が取れる状態ではないので、腹はすいているが、まだ食べることは無理だ。
上越に来て2回目の朝。天気予報では今日の昼から天気が危ないという。それに明日は松本に移動するから、今日中に、しかも雨の降る前に行くべきところに行っておこうと、無理を覚悟で動き始める。
まずは、小説に書きかけている浄興寺から北国街道への道順を確認しなければいけないことに、昨日気がついたのだ。
書いていることがどうもウソになっている。浄興寺から北に向かって北国街道(ものの本によると加賀街道ともいうらしい)へ出るのは田んぼ道を走ることになる。しかし、別な走り方がある。寺町の北を東西に走る道があるのだ。私は、この道を北国街道と思っていたので、とりあえず寺町の北の道に踏み切りをわたって入り込む。
寺町には行かず、右に道をとって進んでいく。途中に浄興寺方面と書いた案内板などがあるが、北国街道への案内はない。つまりは、私は寺町の北を走るのが北国街道と思っているからこれで当然ということになる。
そのまま走って山麓線の交差点もそのまま直進。 ん?交差点を超えてから、どことなく雰囲気がおかしい。どうも山の中に入っていってしまいそうだ。後になって地図で確認すると「愛の風公園」という方向を向いている。
とりあえず山麓線まで戻る。山麓線を北に上がると、左に新潟教育大学のキャンパスだ。(山麓線からかなり奥にある.) キャンパスの入り口の道路に車を入れて、教育大の建物の写真を遠いが撮る。キャンパスに入っても何もないだろうなぁ。。。なんて正直自分の気持ちに寂しさを覚えるが、この際無視だ。 教育大
また山麓線に戻って北上。ここから北国街道までは距離はない。実はこれまで気にしていなかったのだが山麓線と北国街道は斜めに交差しているのだ。私は、北国街道は南北に直進と思っていたが、昨日までの道に迷う原因になっていたのだ。昨日の迷いの反省で今日は確かな道を走ることができるようになった。
北国街道は、ここからどこをどう折れて海岸に出るのだろう。そこまでは書かれていない。北国街道は、実は高田までということのようで、その先は、加賀街道というのだろうか?加賀百万石前田藩の殿様の参勤交代のための道順のようだ。
**江戸の加賀街道の名残の松並木** 撮影場所
しかし、加賀藩の参勤交代は、妙高を越えたのだろうか?加賀街道としては、中越の長岡から今の関越自動車方向沿いにまわる道もあるようだ。この高田城を通り、妙高を越えて北国街道を行くのは脇街道ということになっている。
人間1千人馬5百騎という大行列が、妙高高原を超えただろうか。季節にもよるだろうが、妙高高原は夏でも結構涼しいところだ。そんな大行列の宿泊先(本陣)はあったのか?国道18号を走ったときには、本陣跡は気づかなかったが。もっとも、飯山街道はそれよりも厳しいかもしれない。
**ネット検索では、北国街道の野尻湖近辺に「野尻宿」「柏原宿」などの本陣跡があるようだ。**
** 次回は上杉謙信の居城 春日山城の遺構のある 林泉寺 **