2007年07月19日

自分史

 団塊の世代の定年が始まって・・・

 私の場合は、その前の年代なので、もう退役したような。
  会社勤めではないので、定年はなく
  なので、ここ数年
   なんかだらだらと 毎日を過ごしているようにも思える。

  仕事が仕事で、毎日PCとにらめっこをしていた関係で、
  今もその延長上にある。

 以前、あるPC関連のメーカーさんの方とお話していて
  退職後の団塊世代をターゲットした商売できないかって。。
 ここで、「自分史」を作らせて見てはどうだろうと提案したことがある。

 これまで生きてきたことを
  何らかの形で残しておく。通称・自叙伝なのだが、
  有名人とはいかないので 「自叙伝はなぁ」 となるから
  「自分史」でどうだろうと・・・

 実は、私がこのBLOGに書いているのも
  そのときのその話の延長。
 
 時間に余裕が出来て旅をしたことを
  自分のHPに書いていたものを
  BLOGに方向転換した。

 本当は、もっともっと
  若いとき、子供の頃の記憶も書いてみたいとは思うものの
  ちょっと、時間的に今はまだ無理。
  いずれ手がけてみたいとは思うけど、
   あんまりいい過去でないから、迷いもする。


 自分史を残す
  出版となると 自費出版会社の餌食になるので
  自分でPCに打ち込んで
   それをBLOG二掲載・投稿するなり、
   プリンタで打ち出して、製本して残しておく・
  これだけでもいいのではないだろうか?

 私の場合には、
  モノクロであれば、
  自分で両面印刷することが出来るので
  割と簡単に、本を作ることが出来る。

 このBLOGを見ている人は
   少なくともPCはあ持っている。
   ならば、文章は打ち込める。
 
 思いついたままを
   PCに打ち込むだけです。

 写真集も割りと簡単に出来ますよ。
  取り込んだ写真を
   CDに焼き付けるだけで十分です。
    閲覧用にコメントなどつけられれば最高
  いまは、CDラベルもプリンタで打ち出しでます。
   本の代わりにCDを作ってみる。。。

もし、時間をもてあまして、BLOGを見ているだけ
  という人なら、是非一度挑戦してはいかがでしょう。

**
 StarCat / KMN 主催のこうしたセミナやらないかなぁ・・
**  

Posted by 生田 at 22:32Comments(0)TrackBack(0)その他

2007年07月19日

旅の記録 上越2日目 その5 春日山城址

2005年5月11日 3日目 (上越2日目) 
   上杉謙信の居城 春日山城址  地図


 埋蔵文化財センターを後に、春日山に上がる気になったので、右に車を回して公園に上がっていく。なんとも寂しいところとしか映らない。車で上がって行けるのは私にはありがたいが、途中左右に道が分かれる。春日山神社(と書いてなかったように)と林泉寺方面。どうも今回は右にとる癖がついていしまったのか、右に行く。さらに降りていくと、なんとトラックが道をふさいでしまっている。しかたがないのでゆーターンする。そして途中にある駐車場に車を入れる。

 目の前にものすごい階段が・・・苦手な高い階段だ。自転車でおいでになった私よりもお年を召した(ように見えたのでごめんなさい)女性が、降りてこられたところなのか。ちょっと声をかける。「こんな高いところを上られえるんですか?」と。「そうです」とのご返事。感服する。私がユーターンしてきたほうに降りていかれた。


 私には、上れるものではないので、上っても降りるのに苦労するからやめ。車に戻って城址のほうに向かう。少し上ったところにまた駐車場が。なんとさっき下から眺めた神社の鳥居があるではないか。それに何軒かの売店がある。
 一番近い売店の女主人と思う人がごみでも捨ててこられたのか、店の前においでになる。
  「ここから佐渡島って見えないんですか?」とお尋ねする。
  「そういえば見たことないですね。海はこっちに見えるけれど。」
 ということは、地元の人は、佐渡なんてまったく気にしていないのだろう。そういうものだろうとは思う。
 
 私だって、名古屋のことを聞かれたら、まああんまり答えることはできないだろうから。
方角はどっちかということなので、ちょうど鳥居のほうですよというと、「それでは見えないわけよね」ということだ。
 私は、お礼を言って、神社のほうに向かう。ひょっとして神社の向こうに海が見えるかもしれないという期待を持ってのことだ。しかし、残念なことに周りの木が景観をさえぎっている。何も見えないという表現が正解だろう。

 駐車場に戻ったところで車の正面の上を見ると、石垣の上に銅像が建っている。どうもこれが上杉謙信公であるらしい。誰をモデルにしていつごろ建てたものか。。。 まあとにかく来た記念にと写真に収めた。

********************
2007年7月のコメント
謙信の銅像は、2007年NHK大河ドラマ「風林火山」に登場のGsckt の謙信とは全くイメージが違います。
********************

 ここで佐渡など周りを見る景観がさえぎられているのなら、もっと上に上がらねばならないのかとまた車で上がっていくが、なんと何と少し上がってところで、その先は車ではだめとのことだ。道は狭いし、ガードレールもないから無理というものだ。あるくことで天守閣跡までいけるようだが、苦手な草むらが続いている・・・・・
あきらめて下山することにした。

 **次回は、五智国分寺**

過去の記録
2005年5月9日2005年5月10日
 名古屋から軽井沢 その1 栃木県二宮町の朝
 名古屋から軽井沢 その2 朝のお勤め 高田・専修寺
 軽井沢から達磨寺 高田・専修寺 その2
 達磨寺から高崎・前橋 稲田・西念寺
 前橋から専修寺 R50号線 水戸市河和田 報佛寺
 栃木県真岡市で宿泊 報佛寺 坊守さんのお話
 筑波山麓を走る
 下妻市 小島草庵後
 下妻から長野に
 関越・花園~上信越・佐久
 佐久~黒姫野尻湖PA
 妙高を越え日本海へ
 日本海の夕日


2005年5月11日
 上越2日目 その1
 上越2日目 フェリー乗船場
 上越2日目 市役所
 上越市埋蔵文化財センター
  

Posted by 生田 at 00:15Comments(2)TrackBack(0)旅行など

2007年07月18日

道に迷う

 旅の記録をお読み頂いている方がたには、
  心から御礼申し上げます。

 ***旅の記録の補足***

 水戸から上越への本州横断で
  古河から道を間違えて埼玉県に入り込む原因について
  本文の中で、
   後で書きます。
  と書いておきながら詳しく書かなかったことを
   今日思い出だしました。
  申し訳ありません。

 道を間違える原因となったのは、
  車に搭載した 方向を示す磁石です。
  通常は北の方角を正確に射しているのですが、
   私の車の中で、エンジンをかけると
   おき場所によっては、約45度左にブレるのです
  これは、今連載している旅行の後半年位してわかったことです。

      (原因などは、不明です。ディーラーも??状態です。)

   
 なれない土地のなれない道を走るとき、
   たとえ太陽が出ていても、
   この旅行のように日が上がってから日が落ちまで走り続けると
   太陽の高さを別に知ると太陽のある方向では
    自分自身の向いている方角がわからなくなります。
   私は、方向音痴ではないのですが、
    この旅行では 磁石に頼ったことが
    道に迷うことになってしまいました。

 こんなこともあるので、
   なれない土地の一人旅は、気をつけないと。
  もっとも、お金持ちの方々は、
   カーナビつけてるから問題ないだろうなぁ、
     私の車、カーナビもETCもついてない14年物です。
         (新車から14年経ったという意味)
     

Posted by 生田 at 20:41Comments(0)TrackBack(0)旅行など

2007年07月18日

地震速報 の 不思議

 07年07月18日 午後8時30分
  また新潟 中越で震度3以上の地震
  当分続くと 言われているものの。。。


 さて、毎度 地震速報で思うこと
  それは、
   まず ○○時○○分頃地震ありました。 
   次に 津波に注意してください。
   その地域は ○○ 

  これ、変じゃないかな?
   ます場所と震度を書くべきでしょうね。
   それを見てちかいとおもったら 身構えますね。

  しかし、
   最初に書いたのでは、
    どうしたらいいの????
   なんですね。

  いくつかの放送局がこの手順なんですが、
   今日は、ドラの試合を見ながらなんで CBCです。
 
  少し、考え直して。  

Posted by 生田 at 20:14Comments(0)TrackBack(0)社会性

2007年07月18日

旅の記録 上越2日目 その4 埋蔵文化財センタ

2005年5月11日 3日目 (上越2日目) 
   埋蔵文化財センタ  地図はこちら

 **2007/7/16 上越市を含む中越沖地震の
      罹災者の皆さんにお見舞い申し上げます**

 上越市役所の受付で教えられたプレハブの建物に入る。
 教育委員会関係の部署が入っている建物だ。つまりは、生涯教育も教育委員会の担当だから当然といえば当然。この1階のドアを開き、(ドアは最近多くなったほうっておいても勝手に閉まる引き戸)案内板にしたがって入っていく。教えられた「生涯教育企画課」をと思ったのだが、このフロアみんなその名前だよ。困ったなぁと思っていたら一番奥の女性が私のかを見て出てきてくれた。電話で話をしていた人なのだろう。(かなりの美人である。ラッキー)

 彼女いわく、「詳しい担当者が出払っておりますので改めてお出かけいただけないでしょうか」とのことだ。詳しい人がいないのは残念だが、アポなしの強引訪問だから致し方ないし、今回は時間をたっぷりとった上越訪問なので、了解。担当者のご都合のいいときを電話いただくことにして名刺を渡した。女性からも名刺をもらう。(こんなことはめったにないことだなぁ・・)

 私は、上越について知りたいことの概略を伝えた。親鸞関係のことを調べているのだが、平安後期から鎌倉にかけての地震の記録はないだろうか、またそういった古文書の存在を知りたいと。そうしたことに関して彼女は、春日山城公園のふもとに「埋蔵文化財センター」もあるので立ち寄っていってほしいのこと。春日山城は実は私は今回も行く予定はしていなかったのだ。この山は、上杉謙信の居城跡で江戸に入ってからは撤去・破壊されたもので、現在はほとんど何も残っていないことをすでに知っているから、行く意味を感じていなかったのだ。

 皆さんそうなのだろうが、非常に親切でいろいろパンフレットを持って来て説明をしてくださる。ありがたい話だ。最後に前回来たときに高田城公園の売店(市の運営みたい)でもらった寺町案内の冊子をもっといただけないかとお願いをした。何冊いるかとのことなので5冊いただけますかというと、快く5冊いただけた。

 埋蔵文化財センターへの道順をお聞きして、市役所を後にした。市役所の北の交差点を左=西に向かう。鉄道の線をくぐる。これは信越線の下をくぐっているのだ。この線の左には春日山駅がある。信越線を超えると町並みが急激に変わる。信越線の西は住宅地になるのだ。いずれにしてもこのあたりは、直江津市と高田市の合併によって、その南北中央あたりになるのだが、そこに新しくできた町並みのように思われる。
 少し先に広い交差点がある。前日とおった通称山麓線だ。この交差点を左折して南に向かう。右側に仏壇屋さんがある交差点まで行くことになるんだが、仏壇屋がわからない。名古屋にある仏壇屋を頭に描くなら、彼女の言う仏壇屋とはイメージが違っている可能性が大きい、とはいえ信号の数も聞いていたのでその数の信号を右折。だんだん本当に住宅地に入る。

 春日山町という交差点に来た。どことなく見たような気がするが。そのときは思い出せず、交差点を直進する。右に老人施設がある、左には幼稚園があるとのことだが、どうもさっと気づけないのが今回の旅の欠点。老人施設の看板に気をとられその後ろにある建物がその老人施設だと思ってしまった。
 そのためにその施設を通り過ぎてしまい、直進すると、春日山公園なんて書いてある。これでは行き過ぎであることがわかった。道を間違えたのかと思い、右折したら行き止まりに入り込んだ。仕方がないので切り返してもとの道に戻る。先ほどの老人施設の前で、埋蔵文化財センターなる文字を見つけたのだが、それに気をとられ、タイヤを縁石にぶつけて大きな音を出してしまった。みっともないったら。

 車を駐車場に入れる。しかし、ちょっと待て。人気がないのになぜこの駐車台数があるのか?いまだにその理由を図りかねている。学芸員たちだけの車では絶対にない。
 まあ、車が多いから入館者も多いと思ったのは最初。玄関を入るが静かなものだ。正直、誰も来ていない。まだ新しいということもあるのだろうが、世に知られていないのではないかとすら思う。


  **埋蔵文化財センター写真は上越市公式ページから拝借しています**

 玄関の右に小窓があり、そこに一人受付をかねた女性がいる。何か書きものをしている。その人が顔を出した。そして、どうぞ見てください。今電気をつけますのでとのことだ。つまりは、展示室は証明がつけられていない、真っ暗状態なのだ。当然といえば当然か。誰も入館者がないのに無駄な照明をつけておく必要もなかろう。
 照明を点けてもらったので展示室に入る。縄文土器、弥生土器、そのほかにも焼きもののなど埋没していた古のものをいくつか展示してあるが、そんなにたくさんあるわけではない。それにしても上越やその近辺の名前よりも能登、越前の地名の焼き物がある。なぜ?時代的な問題もあるが、当地よりも他の地のものがたくさん出てきているのはどうしてなのか、疑問が多い。

 ここに展示されている文化財は、上越自動車道の高田ICから上越JCの間の工事で見つかったものとのことだ。上越は高速の工事とともに、いくつかの国道工事もあったが、そのたびにいくつかの史跡が見つかっているようだ。
 これは、上越に限ったことではないのかもしれないが、新たに何かを建設するための工事で、何もない野原と思っていたところが、大昔はそこに立派な施設があったということもよくあることだ。

**次回は、上杉謙信の居城 春日山です、**


過去の記録
2005年5月9日2005年5月10日
 名古屋から軽井沢 その1 栃木県二宮町の朝
 名古屋から軽井沢 その2 朝のお勤め 高田・専修寺
 軽井沢から達磨寺 高田・専修寺 その2
 達磨寺から高崎・前橋 稲田・西念寺
 前橋から専修寺 R50号線 水戸市河和田 報佛寺
 栃木県真岡市で宿泊 報佛寺 坊守さんのお話
 筑波山麓を走る
 下妻市 小島草庵後
 下妻から長野に
 関越・花園~上信越・佐久
 佐久~黒姫野尻湖PA
 妙高を越え日本海へ
 日本海の夕日


2005年5月11日
 上越2日目 その1
 上越2日目 フェリー乗船場
 上越2日目 市役所
  

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2007年07月17日

梅雨明けはいつに??

 台風一過、
  秋台風なら、その後晴れ間続くことが多いのに、
  今回の台風は、過ぎた翌日半分晴れたかな?
  今日は雨です。(ぱらぱらですが)

  地震の被災地には、きつい雨ですね。

 何とか、晴れてあげてほしい。
  これ以上土砂崩れがあっては、困ることも多いでしょう。  

Posted by 生田 at 13:16Comments(0)TrackBack(0)その他

2007年07月17日

旅の記録 上越2日目 その3 上越市役所

2005年5月11日 3日目 (上越2日目) 
   上越市役所  地図 

 **2007/7/16 上越市を含む中越沖地震の
      罹災者の皆さんにお見舞い申し上げます**


 ショッピングセンターでの買い物を済ませると時刻は9時を少し回ったところだ。これから上越市役所に行く予定だ。私の思いついたことを確認するには、これまでの調べ方ではどうしても行き着けないものがある。
 そこで古文書などの存在を知る係りのいる市役所で聞いてみようと思い立ったのだ。だめもとだ。門前払い草和されてもどうということはない、しかし市役所としては観光振興の一助ということでそんなに冷たくあしらうことはないだろうという思いもある。

 ショッピングセンターを出て、上越市内の中央にある市役所前の大通り(謙信公大通)を西に進む。看板には「市役所」「春日山駅」とある。この道路を西に向かう。関川の橋(謙信公大橋)はセンターラインで左右分離し、中央には黄色いかまぼこ型の橋げたを支える応力受け(なんといったっけ??)がかなり目立つ。
 この橋を渡り、旧18号?・現292号線?(上越大通り)との交差点の西=進行方向の右に多き建物を見た。(何故か左が眼に入っていない)瞬間的に「これ市役所」と思い込んで交差点で右折。
 ん??市役所にしては車はない、人もいない。なんだ??駐車場に車を入れて振り返ると、市民ホールだった。あらあら・・・今回はずいぶん勘が外れるねぇ。。

 どうも交差点を左折しなければいけなかったようで、つまりは道路の反対側にあるのが市役所のようだ。道路を元に戻って市役所の横の駐車場入り口から市役所を回る形で駐車場に入っていく。9時を20分くらい回ったところだが、いろいろな手続きをしにくる人たちなのだろう。かなり人の出入りが多い。地方都市の市役所に入るのはめったにない、何所もこのように多くの人が出入りするものなのだろうか?

 私が市役所を訪れたのは、上越・特に直江津地区の鎌倉以前の地震の記録はないかということが知りたいのだ。インターネットで調べた限りはそうした古文書はまったくといっていいほど見つかっていない。室町の後期にならないと文書が残っていないのだ。私のように一個人の調査できる範囲、レベルを超えているようにも思ったので、役所に行けば何らかの情報を持っているのではないかと思い立ったのだ。
  **写真は手元にないので、「お役所コレクション」から拝借sました**
 
 初めて訪れる市役所で、どういった組織構成になっているのかもわからないし、聞きたいことがどの部署で担当しているかもわからない。多くは他の都市からの来訪者は関東振興課といったような部署が応対してくれることが多い。まあそうであってもどこにあるのかわらないから、まずは受付に行くことにした。
 おそらく正面玄関と思われる入り口を入ってガラスの扉を2つ通って、左側に2人の女性が座っている。用件を言うと、しばらくお待ちくださいといって電話をかけている。電話での話が終わると、「生涯教育企画課」へ行ってくださいとのこと。
 ん?生涯教育?あら、これは結構年をとった人を対象にした一種の教育を考えている部署じゃないの?私の年を見てそう判断したのかな?観光対象じゃないの? と内心不満だがまず入ってみることに。指示された場所は、プレハブの2階建て。たまたま私が車を止めたすぐ後ろだ。
 そういえば、上越の市役所駐車場に名古屋ナンバーなんてめったにないのだろう。気づいた人が不思議そうな顔をして通っていく。

**次回は 上越市埋蔵文化財センター **

過去の記録
2005年5月9日2005年5月10日
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2005年5月11日
 上越2日目 その1
 上越2日目 その2 フェリー乗船場

  

Posted by 生田 at 00:15Comments(0)TrackBack(0)旅行など

2007年07月16日

家電量販店の大ボケ

 今日 某・家電量販店でちょっとした買い物。
  ところがここで、裏を見ることになってしまった。

 たまたま、その店(全国展開)のポイントカードを
  家族がそれぞれ持っている。
  今日は2枚のカードがあったのだが、

 買い物をしたときに提示を求められたので
  担当したセールスに渡した。
  返されるときに 両方とも ゼロ ですと。

 ん? それはないだろう。。。。。
  とはいえ、面倒だから 買い物をした。
  今度はポイントがたまった。
   一応ポイントの確認はした。

 そこで今度は別なものを買いに
   そこで、そのカードのポイントを使って
   支払おうとしたら
    「現金で払え」という。
   ん? ポイントあるだろう・・・・・
    いえ。いえ。。。。。。 なんとも歯切れの悪い。
  
   たいした金額ではないし
    後ろに客が並んでいるので
    現金で払った。
 
  さて、ここからが問題。
   このとき 実はレジが故障していた。
   ポイントの計算が全く出来なくなっていたという。
    (こんな説明は一切されていない)
   後になって聞いたら 「レシートに後日カードに反映させる」と書いているけど。
  
  しかし、この店のポイントカード
   点数が見えないんです。
   実際に1月に買い物をして、2月にも買い物をして
   ポイントがあるにもかかわらず ゼロ です といわれている。

 「後になって反映される」 と書かれていても
   今日のように ゼロ と言われればそれで終わりです。
   信用できますか?

 商品を買ったらポイントをつけ、
  そのポイントで買い物が出来る
  これは、この店の客との約束。
   そのためのポイントカード

  今日は、2回拒否された形になっている。

これは、私だけではなく
  ほかの人にも同じように扱っているはず。
  
  ポイントがたまっても
   それがどれだけたまっているかはカードに表示がない。
   レシートにも、前回までの蓄積ポイントの記載はない。
   買ったポイントと累計ポイントはレシートに標示される。

  さて、これで店は信用しろという。

 さて、出来るものでしょうか・・・・・・・
   ゼロといわれて 反論はどうするのでしょう???

 店の責任者、本社のお客様センターの責任者
   ことの重大性が 理解できていないようです。


**
 私の記憶では
  ちなみに Y電気・Bカメラはポイントが見える
  E社はポイントは見えないがカード忘れても電話番号で確認が出来る。
  大阪のYカメラは ポイントを口頭で説明してくれる

  ポイントの見えないところは、
   ちょっと 問題のある店が・・・・・  

Posted by 生田 at 19:56Comments(0)TrackBack(0)社会性

2007年07月16日

2007新潟中越沖地震

 また、新潟で大揺れです。

 この辺りは本当に自身の巣で、
  大昔から被害にあっているようです。
 
 私の旅行記にも登場する上越
  ここも今回 震度5強だったとか。
  お世話になった方々がご無事で被害のないことを心から祈っています。


実は、
 旅行記にもうじき(明日か、明後日)登場するのですが
  上越市の市役所で鎌倉以前の古文書について尋ねたことがあります。
  学芸員のお話では、鎌倉以前の古文書は一切ないということなのです。
   ひょっとして地震? との問いに対して、
   可能性はかなり大きいが、何しろ資料がないので
   なんとも判断できないのが悔しいという印象でした。

 現在のように防災が進んでいても
  大きな被害が出るのです。
  上越近くは、海岸はかなり水没もしています。
  それらの原因になるのが
   地震を伴う地殻変動のようです。


何は、ともあれ、被害が少ないことを祈って。  

Posted by 生田 at 17:22Comments(0)TrackBack(0)社会性

2007年07月16日

旅の記録 上越2日目 その2 フェリー乗船場

 2005年5月10日 3道目 (上越2日目) 
   フェリー乗船場へ

 まだ私は直江津港のフェリー乗り場に行ったことがない。近くまで入ったことはあるが、切符売り場などを見たことがないのだ。そこで車を直江津港に向けた。海岸に沿って東に、安寿と厨子王の碑のある小さい公園を右に見て、関川の加工で右に折れて川に沿って少し登ると橋(荒川橋)がある。この橋は帆柱をかたどった柱が何本も立ち船をイメージしている。私はどちらかというとこういったデコレーションが好きではないのだが。。。まあ、港町をあらわす目的があるので、致し方ないかな。それにしても誰がこのイメージを覚えているかな。
  **橋の写真は「新潟橋見学会」からお借りしています**

 橋を渡り、信号交差点で左折するとフェリー埠頭だ。ただし、正面ではない。正面は国道18号線から入る。つまり東京から国道18号線をひたすら走ってくるとこの埠頭に到着し、そのまま佐渡にわたることができるのだ。なんとなく私には物悲しさを感じさせるものがある。渡し舟、連絡線、過去に青函連絡船などに数回乗り、そのときの乗客の姿を見て、また友人が北海道から東京に出てくるときの話を聞いたりして、なぜか物悲しい鋳物を感じたことが、ここでもそうした印象を思い起こさせるからなのだろうか。

 送迎用の客の駐車場に車を止め、切符売り場に入ってみた。朝の便と次の分のハザマのようで、客は誰一人としていない。売店の係りの人も手持ち無沙汰のようだ。鉄道のターミナル駅を思い起こした。若いとき、仕事であちらこちら鉄道で移動したがそのときの、役々の風景は、人生の縮図を感じさせたものだった。おそらくこのフェリーターミナルにも、いろんな人生があるのだろうと、想像をたくましくする。
 私自身はフェリーに乗りに着たのではないが、こうして切符売り場にたっていることすら、それなりの理由があって立っているわけだ。この姿をほかの人、今は売店の人や切符売り場の係員だが、その人たちが私の姿をどういう意味で捉えているだろう。私は私の人生の一シーンなのだ。そこには明るい話題があるように見られているだろうか・・・ フェリー乗船場

 港を後にして、18号線沿いにあるショッピングセンターに向かった。車は南を向いている、この方向には、妙高が雪をかぶった美しい姿を見せている。まだこうした姿を見ると、この土地が完全な春を過ぎてはいないように思えてくる。
ショッピングセンターに行くのは、ちょっとした買い物をするためだ。私が毎日必ず食べるものを買いに。このショッピングセンターは、食料品は24時間営業している。前に来たときもすでにその営業をしていた。名古屋ではまだ24時間営業は少ないのだが。上越、松本、そういった都市のスーパーマーケットでは食料品は24じかん営業がおこなわれている。まだ、9時前だ、にもかかわらず顧客は結構いるものだ。中に入ると、メインの10時開店前の準備をしている。食料品売り場も新しい品物の補給をしている時間帯のようだ。


過去の記録
2005年5月9日2005年5月10日
 名古屋から軽井沢 その1 栃木県二宮町の朝
 名古屋から軽井沢 その2 朝のお勤め 高田・専修寺
 軽井沢から達磨寺 高田・専修寺 その2
 達磨寺から高崎・前橋 稲田・西念寺
 前橋から専修寺 R50号線 水戸市河和田 報佛寺
 栃木県真岡市で宿泊 報佛寺 坊守さんのお話
 筑波山麓を走る
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 佐久~黒姫野尻湖PA
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2005年5月9日
 上越2日目 その1

  

Posted by 生田 at 01:00Comments(0)TrackBack(0)旅行など

2007年07月15日

台風一過 お日様が

 遅い台風
 ちょっと東に行ってくれました。
  
  ただ、被害を残しているので
  恨めしいヤツです。

 お日様が久しぶりという感じで
  顔を出しました。

 ご近所、我が家も含めて
  洗濯物がいっぱい並んでいます。

しかし、
  蒸し暑いですね。
  ブタになった私は
  四六のガマのごとく 汗をたらたら流しています。

14日(昨日)は
  アメオトコの真髄だった。
  雨がブタになる日を祝ってくれたようです。

 そして、
  遠い昔の大学の学友から
  祝いのメールがきました。
   覚えていてくれて、ありがとう。

  7月14日 フランスではお祭りです。
   革命記念日です。
   遠い昔 日本では これを パリ祭 と呼びました。
   これは、本国では言わないのですが。・
    シャンソンを聴く日でもあったとか・・

 ブタ 2日目、 あと364日 (来年閏年)  

Posted by 生田 at 13:49Comments(0)TrackBack(0)その他

2007年07月15日

足の遅い台風

 午前8時
 ここ数日 天気に関しては、梅雨の話以上に台風の話。
  昨日上陸して太平洋岸を東に移動しているけど、
  遅いやつだなぁ
   秋台風は、さっさといってくれるのに
   夏台風は 遅い・・・
 今現在 名古屋の真南の階乗に中心
   遠いせいで、風も弱いのは ありがたい。

 ただ、天白区でも植田川に人が流されたとか。。。
   ご無事であらんことを。

 首都圏に近くなったので、
 扱いが全国区に 新幹線も止まっている。



 早く通り過ぎてくれ、
   そして被害は残さないでくれ。  

Posted by 生田 at 08:09Comments(0)TrackBack(0)その他
  
2015大津・京都の旅
1泊2日のドライブ旅行
2015北海道・道東の旅
1週間870kmのドライブ旅行
大学OB会と
50年ぶりの鎌倉
OB会の後に鎌倉と横浜に行ってきました
15年年頭 広島宿泊の旅
鞆の浦、竹原、宮島に行きました
14年秋 京都宿泊の旅
久しぶりに新幹線に乗りましたが・・・
13年秋 京都ドライブ旅
京都の紅葉の名所・毘沙門堂に行きました
12年秋 室生寺ドライブ旅
すてきな観音様と再会です
室生寺五重塔
12年秋 京都ドライブ旅
1年ぶりの京都です
三千院
10年秋 平泉ドライブ旅
4泊5日 2000キロの一人旅です
平泉・わんこそば
   
10年夏 室生寺 日帰り旅
素晴らしい観音さんに出会いました
室生寺・五重塔
10年初夏 宇治・長岡 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに黄檗山満福寺・六地蔵・法界寺谷寺・長岡天神
布袋さん
09年秋京都 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに 紅葉がきれいな京都
南禅寺の紅葉
08年秋京都 日帰り旅
08年11月25日貧乏・一人・日帰り旅の記録です。
鳳凰堂を望む
観光シーズン 京都の歩き方
京都市・地下鉄 東西線沿線
09年浅草と川越
浅草観音
07年信州の旅
上田城内
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生田
生田
 トップの写真は、我が家の庭で、鳥達につつかれ実もなくなり枯れ果てた柿の枝です。人生も同じで、仕事仕事で突き回されてここまで来て、落ち着いたら、だんだん枯れていくんだという思いです。  
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