2007年07月29日
旅の記録 上越3日目 その6 親鸞の奥さん
2005年5月12日 4日目 (上越3日目)
恵信尼廟 = 親鸞の奥さんのお墓 地図はこちら
また、国道18号線に戻る。そして南下する。「島田」というインターで降りる予定なのだが、これまた初めてで、長く感じる。周りは田んぼがいっぱい。そんな中をゆったりと国道18号線は走っている。車の流れもどことなくゆったりと感じられる。周りが広いということは、そういった気持ちのゆとりにもなるもかもしれない。
「島田」で降りるといってもこのインターは立体ではないので、降りるという感じはない。ごくありきたりの平面交差点。ただし、周りには何もないっていうことが違うだけ。
左に折れて、道なりに進んでいく、ものすごく狭い田舎道だ。地図では絶対にわからない。この狭い道が急に開けた。広い道と交差しているのだが、方向がわからない。曇っているから余計だ。
しかし、目の前に交番、いや駐在所がある。(駐在所なんて、懐かしい)道を尋ねようと、入り口に行くが、なんと閉まって鍵がかかっている。へぇ?と。隣にインターフォンがあるので、それを押すと駐在さんの奥さんの思しき若い女性が出てこられた。そしてその後から制服姿の警官が。
「恵信尼廟に行きたいのだ」というが、どうも廟所をご存知ないようで、とりあえずは板倉町の町役場まで行く道を聞く。ご丁寧にお教えいただいた、またわからなくなったら、あちらにも駐在があるから聞いてくださいとのこと。
このあたりは田んぼの中だが、結構トラックなどが多いので、新幹線の工事の関係ですかと問うと、それも多少はあるけれど、工業団地ができてきているのでその関係でしょうとのこと。こののどかな風景も、新幹線やら、工業団地に壊されてしまうのだろうか?そう思うと非常に残念に思うのだ。
教えてもらったように走り、懐かしい通りに出た。これまでとは違った場所だが、その延長上の通りであることはすぐにわかる。この道を南下、右折して直進だ。前回来た時はこの道と合流したところは違うもののこの道を新井(現・妙高)市に向かって走ったのだ。あの当時とあまり変わってはいない。(実はそんなことはなく、すぐ近くを新幹線の高架橋が続いているのだ) 前のときは結構長く感じだが、今回は思いほか早く恵信尼廟へ向かって左折するところに来た。
左折して、ん????景色が全く違う。新幹線の高架橋だけではない。全く異なったものが周りにいっぱいだ。なにやらとんでもない広い駐車場が作られている。いったいこれは何なのだ。
まさか、まさか。何の工事なんだよぉと、通り過ぎて、いつも入り込むあたりを左折。ここも見慣れない環境に変わっている。そして、なんと、立ち入り禁止の看板。恵信尼廟改修のための西本願寺の御宣託だ。今まであった、親鸞聖人銅像も、恵信尼廟の五輪塔も何もない。
立ち入り禁止とあるけれど、車を突っ込んでしまったので、どこかでターンしなければいけないから工事車両の止まっている駐車場に入り込む。工事をされている方がいるので、「入れないんですねぇ。邪魔しないので入ってはいけませんか」と声をかけたら、しょうがないなぁといった顔で、「いっといで」ということだ。たまたま昼になったので、皆さん昼ごはんを食べに工事事務所にお行きになるからだろう。
工事現場に足を踏み入れる、アーチのようなものがある。どこかで見たような。。。どこかの千羽鶴を下げていたアーチに似ている。これの下に五輪塔でも入るのか?それにしても広い敷地だ。このあたりの田んぼや民家をしこたま買い占めて廟所を作っているという感じがする。(このアーチは、妙高が背景になるのでは・・)
ここを右に進むと右前方に建物を建てている。以前の汚い環境の中では、寺の本堂に似た建物があったのだが、あれは休憩所だったのか?もし休憩所であったとしたら、その代わりとなる建物だろう。それにしてもあまりにも違いすぎる。またまた歴史がなくなる・・・
とはいえ、私が過去に見た恵信尼廟も本来あった場所ではないのだと聞く。別な場所にあったものを私が知るところに移転させたものだという。ということはすでに歴史は破壊されているわけだが。
京都市山科区の日野に親鸞聖人「誕生院」がある。そこには幼稚園があり幼稚園の片隅に親鸞聖人が使ったという産湯の井戸があり、幼稚園の東の山手に誕生院がある。いずれも史実には確定されていないものだ。親鸞聖人伝絵に書かれた生まれた土地としての日野を拡大解釈しての誕生院と産湯なのだが、私は行くたびに苦々しく思うのだ。
本来親鸞聖人の誕生を言うならば、この産湯のある幼稚園の隣に位置する法界寺に産湯があるのならいざ知らず、その土地の外に産湯を作るとは、そして訪れる善男善女に対して、あたかも真実かのように生まれと産湯の話しをする。どうもうわさでは聖人の真骨を持たぬ東西本願寺は、それに代わるものを作る必要があったことは確かなのだが。西本願寺は5月に誕生会を、東本願寺も日にちは異なるが、誕生会を行う。まあ、本願寺の血流からいけば、当然の行事には違いないが、誕生院、産湯は、空々しいものを感じざるを得ないのだ。
この恵信尼廟所は、6月意中には完成するという。この恵信尼廟もそういった空々しさを感じさせるものになってしまいそうだ。
恵信尼廟のすぐ横を北陸伊新幹線が通過していくことにもなっている。今建設中のこの施設のすぐ横を新幹線の高架橋が連なっているのだ。悲しい。。
** 次回は 帰りの準備、ガソリンスタンドを探す **
恵信尼廟 = 親鸞の奥さんのお墓 地図はこちら
また、国道18号線に戻る。そして南下する。「島田」というインターで降りる予定なのだが、これまた初めてで、長く感じる。周りは田んぼがいっぱい。そんな中をゆったりと国道18号線は走っている。車の流れもどことなくゆったりと感じられる。周りが広いということは、そういった気持ちのゆとりにもなるもかもしれない。
「島田」で降りるといってもこのインターは立体ではないので、降りるという感じはない。ごくありきたりの平面交差点。ただし、周りには何もないっていうことが違うだけ。
左に折れて、道なりに進んでいく、ものすごく狭い田舎道だ。地図では絶対にわからない。この狭い道が急に開けた。広い道と交差しているのだが、方向がわからない。曇っているから余計だ。
しかし、目の前に交番、いや駐在所がある。(駐在所なんて、懐かしい)道を尋ねようと、入り口に行くが、なんと閉まって鍵がかかっている。へぇ?と。隣にインターフォンがあるので、それを押すと駐在さんの奥さんの思しき若い女性が出てこられた。そしてその後から制服姿の警官が。
「恵信尼廟に行きたいのだ」というが、どうも廟所をご存知ないようで、とりあえずは板倉町の町役場まで行く道を聞く。ご丁寧にお教えいただいた、またわからなくなったら、あちらにも駐在があるから聞いてくださいとのこと。
このあたりは田んぼの中だが、結構トラックなどが多いので、新幹線の工事の関係ですかと問うと、それも多少はあるけれど、工業団地ができてきているのでその関係でしょうとのこと。こののどかな風景も、新幹線やら、工業団地に壊されてしまうのだろうか?そう思うと非常に残念に思うのだ。
教えてもらったように走り、懐かしい通りに出た。これまでとは違った場所だが、その延長上の通りであることはすぐにわかる。この道を南下、右折して直進だ。前回来た時はこの道と合流したところは違うもののこの道を新井(現・妙高)市に向かって走ったのだ。あの当時とあまり変わってはいない。(実はそんなことはなく、すぐ近くを新幹線の高架橋が続いているのだ) 前のときは結構長く感じだが、今回は思いほか早く恵信尼廟へ向かって左折するところに来た。
左折して、ん????景色が全く違う。新幹線の高架橋だけではない。全く異なったものが周りにいっぱいだ。なにやらとんでもない広い駐車場が作られている。いったいこれは何なのだ。
まさか、まさか。何の工事なんだよぉと、通り過ぎて、いつも入り込むあたりを左折。ここも見慣れない環境に変わっている。そして、なんと、立ち入り禁止の看板。恵信尼廟改修のための西本願寺の御宣託だ。今まであった、親鸞聖人銅像も、恵信尼廟の五輪塔も何もない。
立ち入り禁止とあるけれど、車を突っ込んでしまったので、どこかでターンしなければいけないから工事車両の止まっている駐車場に入り込む。工事をされている方がいるので、「入れないんですねぇ。邪魔しないので入ってはいけませんか」と声をかけたら、しょうがないなぁといった顔で、「いっといで」ということだ。たまたま昼になったので、皆さん昼ごはんを食べに工事事務所にお行きになるからだろう。
工事現場に足を踏み入れる、アーチのようなものがある。どこかで見たような。。。どこかの千羽鶴を下げていたアーチに似ている。これの下に五輪塔でも入るのか?それにしても広い敷地だ。このあたりの田んぼや民家をしこたま買い占めて廟所を作っているという感じがする。(このアーチは、妙高が背景になるのでは・・)
ここを右に進むと右前方に建物を建てている。以前の汚い環境の中では、寺の本堂に似た建物があったのだが、あれは休憩所だったのか?もし休憩所であったとしたら、その代わりとなる建物だろう。それにしてもあまりにも違いすぎる。またまた歴史がなくなる・・・
とはいえ、私が過去に見た恵信尼廟も本来あった場所ではないのだと聞く。別な場所にあったものを私が知るところに移転させたものだという。ということはすでに歴史は破壊されているわけだが。
京都市山科区の日野に親鸞聖人「誕生院」がある。そこには幼稚園があり幼稚園の片隅に親鸞聖人が使ったという産湯の井戸があり、幼稚園の東の山手に誕生院がある。いずれも史実には確定されていないものだ。親鸞聖人伝絵に書かれた生まれた土地としての日野を拡大解釈しての誕生院と産湯なのだが、私は行くたびに苦々しく思うのだ。
本来親鸞聖人の誕生を言うならば、この産湯のある幼稚園の隣に位置する法界寺に産湯があるのならいざ知らず、その土地の外に産湯を作るとは、そして訪れる善男善女に対して、あたかも真実かのように生まれと産湯の話しをする。どうもうわさでは聖人の真骨を持たぬ東西本願寺は、それに代わるものを作る必要があったことは確かなのだが。西本願寺は5月に誕生会を、東本願寺も日にちは異なるが、誕生会を行う。まあ、本願寺の血流からいけば、当然の行事には違いないが、誕生院、産湯は、空々しいものを感じざるを得ないのだ。
この恵信尼廟所は、6月意中には完成するという。この恵信尼廟もそういった空々しさを感じさせるものになってしまいそうだ。
工事中の北陸新幹線 右方向には23キロにもなる飯山トンネルです
恵信尼廟のすぐ横を北陸伊新幹線が通過していくことにもなっている。今建設中のこの施設のすぐ横を新幹線の高架橋が連なっているのだ。悲しい。。
** 次回は 帰りの準備、ガソリンスタンドを探す **