2007年08月04日
米国の橋梁崩壊に思う
先日 売国ミネアポリスで高速道路が崩壊した。20年近く前にカルフォルニアの高速道路を走ったときのことを思い起こした。
まだ、その原因はわかってはいないが、いずれにしても車が走行する道路(床版)を支える桁部分の鉄骨のトラスがなんらか直原因で崩壊したことは間違いなさそう。
現時点子の東海地方で問題になっている橋梁がある。国道23号線(名四国道)の木曽川鉄橋だ。この橋でも鉄骨が経年変化で錆びて市中に亀裂が入り、分断している。補修工事中ということだが、米国の事故の二の舞に習いかと心配される。(最も構造が違うので同じ状況にはならないかとは思うけど)
前述したカルフォルニアでの記憶は、サンフランシスコ湾の東の都市、オークランドの市内を走る高速道路だ。名古屋にもあるが、三階建てになっている。その2階部分を走ったとき、上階部分を支える支柱の細さ(見方によると厚み)には驚いたものだ。日本の高速道路の規格とは大きく異なり、正直ダイジョウブかと思ったものだ、
案の定、その数年後の大地震で、その構想道路は崩壊した。
トラス橋の場合、鉄骨がむき出しになるので耐候性の材料を使用するのだが、錆などによる肉厚の減少にまでの考慮となると疑問がある。これは、塗装などにより防ぐという前提だ。サンフランシスコのゴールデンゲートブリッジは年中どこかで塗装光寺がされていると聞く。
今回のミネアポリスの場合は、対候性の問題に加えて冬季の積雪対策があったという報道がある。積雪による道路閉鎖を避けるために「融雪剤」を散布する。この融雪剤に塩化カルシウム(塩)を使用したとすると腐食は大きくなり、鉄骨財の肉厚が落ちることになる。これで当然強度が落ちることになる。
日本の高速道路では、塩化カルシウムではなく炭酸カルシウムを使用していた(現在はいろいろな材料が存在するようだ。)と学んだことがあるが、ネット検索の結果では、やはり塩化カルシウムが一般的なようだ。
塩化カルシウムは、コンクリート床版にしみこみ、内部の鉄筋を侵し郷土を弱くする可能性が大きい。また、トラスなどの鉄骨を錆びさせることにもなり、経年変化による腐食を増大させることになる。(建築物の場合は融雪剤をまくことが少ないのでこの危険性は少ない。)
TVの映像で見た印象は、ずいぶん鉄骨材の肉厚が薄いなぁでした。トラスの場合は、H型鋼、T型鋼、C型鋼などを使うが、強度計算では加重や地震の考慮で、錆に対してはどのくらいの考慮がされているかは、学ばなかったなぁ と30数年前の記憶を辿ったが・・・
実は、来週三重県に行くことになっているのだが、当然のごとく木曾川を渡らねばならない。さてどうしようか・・・
名四国道は例の橋梁の怖さがあるし、それに渋滞するだろうなぁ。。1号線は、渋滞するだろうし、たしかこちらの橋梁は名刺国道よりも古いんではなかったっけ?となると、湾岸道路。これは高走ってるもんなぁ。。高所恐怖症の私には辛いし。残るのは東名阪かぁ。迷うなぁ。(1週間の間に決断)
**
ついでに、冬場 雪の降った後の高速道路を走った時は、必ず洗車されることを。特に車体の底の部分、タイヤ、フェンダーの裏辺りは念入りに。昔のように鉄板にメッキはほとんどないので大丈夫ですが、そうした部品があるのでしたらその部品は念入りに洗ってください。私、昔1日で車が赤くなった経験があります。
まだ、その原因はわかってはいないが、いずれにしても車が走行する道路(床版)を支える桁部分の鉄骨のトラスがなんらか直原因で崩壊したことは間違いなさそう。
現時点子の東海地方で問題になっている橋梁がある。国道23号線(名四国道)の木曽川鉄橋だ。この橋でも鉄骨が経年変化で錆びて市中に亀裂が入り、分断している。補修工事中ということだが、米国の事故の二の舞に習いかと心配される。(最も構造が違うので同じ状況にはならないかとは思うけど)
前述したカルフォルニアでの記憶は、サンフランシスコ湾の東の都市、オークランドの市内を走る高速道路だ。名古屋にもあるが、三階建てになっている。その2階部分を走ったとき、上階部分を支える支柱の細さ(見方によると厚み)には驚いたものだ。日本の高速道路の規格とは大きく異なり、正直ダイジョウブかと思ったものだ、
案の定、その数年後の大地震で、その構想道路は崩壊した。
トラス橋の場合、鉄骨がむき出しになるので耐候性の材料を使用するのだが、錆などによる肉厚の減少にまでの考慮となると疑問がある。これは、塗装などにより防ぐという前提だ。サンフランシスコのゴールデンゲートブリッジは年中どこかで塗装光寺がされていると聞く。
今回のミネアポリスの場合は、対候性の問題に加えて冬季の積雪対策があったという報道がある。積雪による道路閉鎖を避けるために「融雪剤」を散布する。この融雪剤に塩化カルシウム(塩)を使用したとすると腐食は大きくなり、鉄骨財の肉厚が落ちることになる。これで当然強度が落ちることになる。
日本の高速道路では、塩化カルシウムではなく炭酸カルシウムを使用していた(現在はいろいろな材料が存在するようだ。)と学んだことがあるが、ネット検索の結果では、やはり塩化カルシウムが一般的なようだ。
塩化カルシウムは、コンクリート床版にしみこみ、内部の鉄筋を侵し郷土を弱くする可能性が大きい。また、トラスなどの鉄骨を錆びさせることにもなり、経年変化による腐食を増大させることになる。(建築物の場合は融雪剤をまくことが少ないのでこの危険性は少ない。)
TVの映像で見た印象は、ずいぶん鉄骨材の肉厚が薄いなぁでした。トラスの場合は、H型鋼、T型鋼、C型鋼などを使うが、強度計算では加重や地震の考慮で、錆に対してはどのくらいの考慮がされているかは、学ばなかったなぁ と30数年前の記憶を辿ったが・・・
実は、来週三重県に行くことになっているのだが、当然のごとく木曾川を渡らねばならない。さてどうしようか・・・
名四国道は例の橋梁の怖さがあるし、それに渋滞するだろうなぁ。。1号線は、渋滞するだろうし、たしかこちらの橋梁は名刺国道よりも古いんではなかったっけ?となると、湾岸道路。これは高走ってるもんなぁ。。高所恐怖症の私には辛いし。残るのは東名阪かぁ。迷うなぁ。(1週間の間に決断)
**
ついでに、冬場 雪の降った後の高速道路を走った時は、必ず洗車されることを。特に車体の底の部分、タイヤ、フェンダーの裏辺りは念入りに。昔のように鉄板にメッキはほとんどないので大丈夫ですが、そうした部品があるのでしたらその部品は念入りに洗ってください。私、昔1日で車が赤くなった経験があります。
2007年08月04日
旅の記録 松本へ 飯山街道 4
2005年5月13日 5日目
上越市から松本市へ、 飯山街道 その4
北陸新幹線 飯山トンネル 工事現場に遭遇
もう峠の頂上に近いという感覚はある、そんなところに目の前に工場のような、小さなプラントが出現。何をしているのかはわからないが、新幹線のトンネル工事の現場である。
地図はこちら
ひょっとして,ここから真下に穴を掘って、トンネルに突き抜けていたりして・・・通気孔みたいなものね。何しろ日本で何番目か、二番目くらいに長いトンネル(全長22キロ225メートル)になるという話だから、この辺りに空気抜きがあってもいいよな。車を降りて写真を撮った。
しばらく走るとまたトンネルだ。今度のトンネルはちょっと長そうだ。つまりこのトンネルの上には、厳しい峠越えがあるのだろうということになる。国道18号線はトンネルはなかったような記憶なのだが。
トンネルがないということは、それだけ緩やかな道を想像できる。これは、毎度車での旅行をしていると、自然と身についてくる知識だろう。国道18号線を走ったのは、まだ高速道路のない、それでいても交通量の少ない早朝に野尻湖から上越へ抜けたのだ。(当時は上越市という市の名前さえ知らなかった、ましてや親鸞ゆかりの地であることも知ることはなかったときだ)
前後に車が来ないことをいいことに、トンネルで車を止めて、トンネルの写真を取る。(何も写っていないよなぁ)
なぜ撮る気になったのか。年のせいです。かなり昔、郡上八幡から高山に抜けるトンネルがありました。そのトンネルに入ったときは、なにかタイムトンネルにでも入るかのような、そんな気分になったものなのです。そのトンネルを抜けると何か素晴らしいものに出会うようなそんな期待を抱かせるトンネルだったのです。今目の前にあるトンネルが、そのときのイメージにちょっと似ているかなと思った、ノスタルジーです。
車の中でとったのは、ガラスの反射で何も写っていないけれど、窓を開けて撮ったものには、真っ暗な中に照明の明るさがかすかに。ちょっと電気の明るさが勝ってしまっていて、明るさの帯が見えないのが残念。
トンネルを抜けて、しばらくすると目の前が開ける。かなり見晴らしのいい景色だ、雲が低いのが残念。雲が高ければ、かなりな景色ではないか。こうした景色があるからこそ峠越えは気分がいいのだ。山登りをする人が、上りきったときに爽快な気分なるのと似ているのではないかな。(違うという声もあるか・・)
とにかくもう下るだけだ。人家はあるし。町並みもあるのだ。
ここまでの所要時間、思ったほどではないのだ。車だからだろうか。歩いてこの峠を越えたらどうなのだろう。とにかく途中の人家のなさは、現代であれば不安な気持ちのストレスになるだろう。しかし、思ったよりも標高は高かったように思うのだ。ただ、個ノアたちの自治体の公式ホームページの記述では、謙信が千曲二区買うときに使った道であったり、沿道には城(おそらく咲くだろうが)を配していたとも書かれ、鎌倉幕府との構成の記述も見える。
ひょっとしたら、古い時代は北国街道ではなく、この飯山街道が使われたという可能性は否定できない。とはいえ、道の状態は国道18号線のほうが楽かもしれない。国道18号線は、急激な坂ではなく、割とゆるいと難じているからだ。もっとも何百年年という年月が、現在とその時代の間にどのくらいに差があるのか、今となって走ることは難しいだろうと思う。
** 次回は、JR飯山駅 **
上越市から松本市へ、 飯山街道 その4
北陸新幹線 飯山トンネル 工事現場に遭遇
もう峠の頂上に近いという感覚はある、そんなところに目の前に工場のような、小さなプラントが出現。何をしているのかはわからないが、新幹線のトンネル工事の現場である。
地図はこちら
ひょっとして,ここから真下に穴を掘って、トンネルに突き抜けていたりして・・・通気孔みたいなものね。何しろ日本で何番目か、二番目くらいに長いトンネル(全長22キロ225メートル)になるという話だから、この辺りに空気抜きがあってもいいよな。車を降りて写真を撮った。
しばらく走るとまたトンネルだ。今度のトンネルはちょっと長そうだ。つまりこのトンネルの上には、厳しい峠越えがあるのだろうということになる。国道18号線はトンネルはなかったような記憶なのだが。
トンネルがないということは、それだけ緩やかな道を想像できる。これは、毎度車での旅行をしていると、自然と身についてくる知識だろう。国道18号線を走ったのは、まだ高速道路のない、それでいても交通量の少ない早朝に野尻湖から上越へ抜けたのだ。(当時は上越市という市の名前さえ知らなかった、ましてや親鸞ゆかりの地であることも知ることはなかったときだ)
前後に車が来ないことをいいことに、トンネルで車を止めて、トンネルの写真を取る。(何も写っていないよなぁ)
なぜ撮る気になったのか。年のせいです。かなり昔、郡上八幡から高山に抜けるトンネルがありました。そのトンネルに入ったときは、なにかタイムトンネルにでも入るかのような、そんな気分になったものなのです。そのトンネルを抜けると何か素晴らしいものに出会うようなそんな期待を抱かせるトンネルだったのです。今目の前にあるトンネルが、そのときのイメージにちょっと似ているかなと思った、ノスタルジーです。
車の中でとったのは、ガラスの反射で何も写っていないけれど、窓を開けて撮ったものには、真っ暗な中に照明の明るさがかすかに。ちょっと電気の明るさが勝ってしまっていて、明るさの帯が見えないのが残念。
トンネルを抜けて、しばらくすると目の前が開ける。かなり見晴らしのいい景色だ、雲が低いのが残念。雲が高ければ、かなりな景色ではないか。こうした景色があるからこそ峠越えは気分がいいのだ。山登りをする人が、上りきったときに爽快な気分なるのと似ているのではないかな。(違うという声もあるか・・)
とにかくもう下るだけだ。人家はあるし。町並みもあるのだ。
ここまでの所要時間、思ったほどではないのだ。車だからだろうか。歩いてこの峠を越えたらどうなのだろう。とにかく途中の人家のなさは、現代であれば不安な気持ちのストレスになるだろう。しかし、思ったよりも標高は高かったように思うのだ。ただ、個ノアたちの自治体の公式ホームページの記述では、謙信が千曲二区買うときに使った道であったり、沿道には城(おそらく咲くだろうが)を配していたとも書かれ、鎌倉幕府との構成の記述も見える。
ひょっとしたら、古い時代は北国街道ではなく、この飯山街道が使われたという可能性は否定できない。とはいえ、道の状態は国道18号線のほうが楽かもしれない。国道18号線は、急激な坂ではなく、割とゆるいと難じているからだ。もっとも何百年年という年月が、現在とその時代の間にどのくらいに差があるのか、今となって走ることは難しいだろうと思う。
** 次回は、JR飯山駅 **
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名古屋から軽井沢 その2 | 朝のお勤め 高田・専修寺 |
軽井沢から達磨寺 | 高田・専修寺 その2 |
達磨寺から高崎・前橋 | 稲田・西念寺 |
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栃木県真岡市で宿泊 | 報佛寺 坊守さんのお話 |
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2005年5月11日 | 2005年5月12日 |
上越2日目 その1 | 上越3日目 加賀街道 |
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上越2日目 市役所 | 上越3日目 五智国分寺奥の院 |
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上越 春日山城址 | 上越 JR直江津駅 2 |
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