2007年08月04日
旅の記録 松本へ 飯山街道 4
2005年5月13日 5日目
上越市から松本市へ、 飯山街道 その4
北陸新幹線 飯山トンネル 工事現場に遭遇
もう峠の頂上に近いという感覚はある、そんなところに目の前に工場のような、小さなプラントが出現。何をしているのかはわからないが、新幹線のトンネル工事の現場である。
地図はこちら
ひょっとして,ここから真下に穴を掘って、トンネルに突き抜けていたりして・・・通気孔みたいなものね。何しろ日本で何番目か、二番目くらいに長いトンネル(全長22キロ225メートル)になるという話だから、この辺りに空気抜きがあってもいいよな。車を降りて写真を撮った。
しばらく走るとまたトンネルだ。今度のトンネルはちょっと長そうだ。つまりこのトンネルの上には、厳しい峠越えがあるのだろうということになる。国道18号線はトンネルはなかったような記憶なのだが。
トンネルがないということは、それだけ緩やかな道を想像できる。これは、毎度車での旅行をしていると、自然と身についてくる知識だろう。国道18号線を走ったのは、まだ高速道路のない、それでいても交通量の少ない早朝に野尻湖から上越へ抜けたのだ。(当時は上越市という市の名前さえ知らなかった、ましてや親鸞ゆかりの地であることも知ることはなかったときだ)
前後に車が来ないことをいいことに、トンネルで車を止めて、トンネルの写真を取る。(何も写っていないよなぁ)
なぜ撮る気になったのか。年のせいです。かなり昔、郡上八幡から高山に抜けるトンネルがありました。そのトンネルに入ったときは、なにかタイムトンネルにでも入るかのような、そんな気分になったものなのです。そのトンネルを抜けると何か素晴らしいものに出会うようなそんな期待を抱かせるトンネルだったのです。今目の前にあるトンネルが、そのときのイメージにちょっと似ているかなと思った、ノスタルジーです。
車の中でとったのは、ガラスの反射で何も写っていないけれど、窓を開けて撮ったものには、真っ暗な中に照明の明るさがかすかに。ちょっと電気の明るさが勝ってしまっていて、明るさの帯が見えないのが残念。
トンネルを抜けて、しばらくすると目の前が開ける。かなり見晴らしのいい景色だ、雲が低いのが残念。雲が高ければ、かなりな景色ではないか。こうした景色があるからこそ峠越えは気分がいいのだ。山登りをする人が、上りきったときに爽快な気分なるのと似ているのではないかな。(違うという声もあるか・・)
とにかくもう下るだけだ。人家はあるし。町並みもあるのだ。
ここまでの所要時間、思ったほどではないのだ。車だからだろうか。歩いてこの峠を越えたらどうなのだろう。とにかく途中の人家のなさは、現代であれば不安な気持ちのストレスになるだろう。しかし、思ったよりも標高は高かったように思うのだ。ただ、個ノアたちの自治体の公式ホームページの記述では、謙信が千曲二区買うときに使った道であったり、沿道には城(おそらく咲くだろうが)を配していたとも書かれ、鎌倉幕府との構成の記述も見える。
ひょっとしたら、古い時代は北国街道ではなく、この飯山街道が使われたという可能性は否定できない。とはいえ、道の状態は国道18号線のほうが楽かもしれない。国道18号線は、急激な坂ではなく、割とゆるいと難じているからだ。もっとも何百年年という年月が、現在とその時代の間にどのくらいに差があるのか、今となって走ることは難しいだろうと思う。
** 次回は、JR飯山駅 **
上越市から松本市へ、 飯山街道 その4
北陸新幹線 飯山トンネル 工事現場に遭遇
もう峠の頂上に近いという感覚はある、そんなところに目の前に工場のような、小さなプラントが出現。何をしているのかはわからないが、新幹線のトンネル工事の現場である。
地図はこちら
ひょっとして,ここから真下に穴を掘って、トンネルに突き抜けていたりして・・・通気孔みたいなものね。何しろ日本で何番目か、二番目くらいに長いトンネル(全長22キロ225メートル)になるという話だから、この辺りに空気抜きがあってもいいよな。車を降りて写真を撮った。
しばらく走るとまたトンネルだ。今度のトンネルはちょっと長そうだ。つまりこのトンネルの上には、厳しい峠越えがあるのだろうということになる。国道18号線はトンネルはなかったような記憶なのだが。
トンネルがないということは、それだけ緩やかな道を想像できる。これは、毎度車での旅行をしていると、自然と身についてくる知識だろう。国道18号線を走ったのは、まだ高速道路のない、それでいても交通量の少ない早朝に野尻湖から上越へ抜けたのだ。(当時は上越市という市の名前さえ知らなかった、ましてや親鸞ゆかりの地であることも知ることはなかったときだ)
前後に車が来ないことをいいことに、トンネルで車を止めて、トンネルの写真を取る。(何も写っていないよなぁ)
なぜ撮る気になったのか。年のせいです。かなり昔、郡上八幡から高山に抜けるトンネルがありました。そのトンネルに入ったときは、なにかタイムトンネルにでも入るかのような、そんな気分になったものなのです。そのトンネルを抜けると何か素晴らしいものに出会うようなそんな期待を抱かせるトンネルだったのです。今目の前にあるトンネルが、そのときのイメージにちょっと似ているかなと思った、ノスタルジーです。
車の中でとったのは、ガラスの反射で何も写っていないけれど、窓を開けて撮ったものには、真っ暗な中に照明の明るさがかすかに。ちょっと電気の明るさが勝ってしまっていて、明るさの帯が見えないのが残念。
トンネルを抜けて、しばらくすると目の前が開ける。かなり見晴らしのいい景色だ、雲が低いのが残念。雲が高ければ、かなりな景色ではないか。こうした景色があるからこそ峠越えは気分がいいのだ。山登りをする人が、上りきったときに爽快な気分なるのと似ているのではないかな。(違うという声もあるか・・)
とにかくもう下るだけだ。人家はあるし。町並みもあるのだ。
ここまでの所要時間、思ったほどではないのだ。車だからだろうか。歩いてこの峠を越えたらどうなのだろう。とにかく途中の人家のなさは、現代であれば不安な気持ちのストレスになるだろう。しかし、思ったよりも標高は高かったように思うのだ。ただ、個ノアたちの自治体の公式ホームページの記述では、謙信が千曲二区買うときに使った道であったり、沿道には城(おそらく咲くだろうが)を配していたとも書かれ、鎌倉幕府との構成の記述も見える。
ひょっとしたら、古い時代は北国街道ではなく、この飯山街道が使われたという可能性は否定できない。とはいえ、道の状態は国道18号線のほうが楽かもしれない。国道18号線は、急激な坂ではなく、割とゆるいと難じているからだ。もっとも何百年年という年月が、現在とその時代の間にどのくらいに差があるのか、今となって走ることは難しいだろうと思う。
** 次回は、JR飯山駅 **
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