2007年08月07日
旅の記録 松本へ 善光寺 びんずる尊者
2005年5月13日 5日目
上越市から松本市へ、 善光寺 境内
本堂に向かって歩いていく。山門にはシートがかぶせられている、修復中のようだ。どこへ行ってもお寺の修復にぶつかる。いったいこの修復費用はどこから出るのだろう、国宝や重要文化財なら国が、県や市などの自治体指定の文化財なら自治体が補助金を出してはいる。どっちにしたところで税金でまかなわれているのだが。文化財でない場合は、自前で修復しなければならない。善光寺の場合は、国や自治体だろうなぇと思う。
10時を回ったというのに、人気がないのだ。確かに連休明けの一番閑散とする難しい時期であることは確かだが、その連休明けを狙っての旅行者があってもいいとも思うのだが。どうして、こんなに少ないのだろう。時間帯が早過ぎるのかな?上田や、上山田の温泉あたりで宿泊した団体さんが到着するにはまだ時間があるのかな?
工事中の山門をくぐる。三度目の善光寺だ。一度はまだ30歳になったばかりのころ、仕事先の旅行できた、そして前回は家内と会津に行く途中だった。今回は親鸞聖人ゆかりの地の探訪の最終地なのだ。本当は最終ではなく、途中だったのだが、天気の関係でコースをひっくり返したから最後になってしまった。
地図はこちら
本堂も人が少ない。前回などは、押すな押すなって感じだったが、まるでそれはウソのよう。ここは天台宗と浄土宗の2つの宗派の別格本山なのである。変だよなって毎度思うのだ。法然さんはここには来ていない。親鸞は来ているということになっている。さらには、親鸞はこの善光寺の聖であったという論説も読んでいる。まあ、上越市から北国街道を越えればたどり着けるところだから、来ていても不思議はないし、関東への移住に際しては当然のごとく通過しているだろうと思うのだ。
本堂で手を合わせて、普通なら念仏を唱えるのかな。私は手をあわせて念仏ではないが念じる。
この本堂の様式が、栃木二宮町の高田専修寺(この旅行記の2日目参照)様式(一光三尊様式)に用いられているとのことだ。
三尊と松。私は、どちらかというとそういった様式にはこだわりはない。誰かが気に入って、使いたいから使ったのだろう、そんな程度にしか私は思わないからだ。松に意味を誰が持たせたのだ?何の目的で?そうしたことを書く論文にも出会わないな。様式として使っているとは書いてはあるが、その理由などには触れていない、むしろ様式を使っているから親鸞は善光寺に来たのだろうし、聖としての布教活動で関東に来たというものさえある。
善光寺聖は、本尊となるものを背負い、全国、いや担当地区を行脚したということだ、その流れとして、高田専修寺にもということなのだろうが。
本堂の入り口近くに「びんずる尊者」がある。触るとそのところを快癒してくれるという言い伝えで、多くの人が触っていくから、顔など表情はもうない。磨り減ってしまっているのだ。私は、めったにしないことだが、今回ばかりは体調を崩しているので、おなかを触ってきた。(ご利益だろうか、松本に到着以降はおなかの調子も戻ってきているよ)
それにしても、顔の表情がなくなっているということは、お顔が不自由な方がいかに多いかということなの?
** 次回は、 善光寺境内のその2 親鸞関連 **
** 今日の 私の記事 **
1:旅の記録 善光寺・びんずる尊者
2:自生のテッポウユリ
3:つゆくさ
4:うるさいセミを撮った
上越市から松本市へ、 善光寺 境内
本堂に向かって歩いていく。山門にはシートがかぶせられている、修復中のようだ。どこへ行ってもお寺の修復にぶつかる。いったいこの修復費用はどこから出るのだろう、国宝や重要文化財なら国が、県や市などの自治体指定の文化財なら自治体が補助金を出してはいる。どっちにしたところで税金でまかなわれているのだが。文化財でない場合は、自前で修復しなければならない。善光寺の場合は、国や自治体だろうなぇと思う。
10時を回ったというのに、人気がないのだ。確かに連休明けの一番閑散とする難しい時期であることは確かだが、その連休明けを狙っての旅行者があってもいいとも思うのだが。どうして、こんなに少ないのだろう。時間帯が早過ぎるのかな?上田や、上山田の温泉あたりで宿泊した団体さんが到着するにはまだ時間があるのかな?
工事中の山門をくぐる。三度目の善光寺だ。一度はまだ30歳になったばかりのころ、仕事先の旅行できた、そして前回は家内と会津に行く途中だった。今回は親鸞聖人ゆかりの地の探訪の最終地なのだ。本当は最終ではなく、途中だったのだが、天気の関係でコースをひっくり返したから最後になってしまった。
地図はこちら
本堂も人が少ない。前回などは、押すな押すなって感じだったが、まるでそれはウソのよう。ここは天台宗と浄土宗の2つの宗派の別格本山なのである。変だよなって毎度思うのだ。法然さんはここには来ていない。親鸞は来ているということになっている。さらには、親鸞はこの善光寺の聖であったという論説も読んでいる。まあ、上越市から北国街道を越えればたどり着けるところだから、来ていても不思議はないし、関東への移住に際しては当然のごとく通過しているだろうと思うのだ。
本堂で手を合わせて、普通なら念仏を唱えるのかな。私は手をあわせて念仏ではないが念じる。
この本堂の様式が、栃木二宮町の高田専修寺(この旅行記の2日目参照)様式(一光三尊様式)に用いられているとのことだ。
三尊と松。私は、どちらかというとそういった様式にはこだわりはない。誰かが気に入って、使いたいから使ったのだろう、そんな程度にしか私は思わないからだ。松に意味を誰が持たせたのだ?何の目的で?そうしたことを書く論文にも出会わないな。様式として使っているとは書いてはあるが、その理由などには触れていない、むしろ様式を使っているから親鸞は善光寺に来たのだろうし、聖としての布教活動で関東に来たというものさえある。
善光寺聖は、本尊となるものを背負い、全国、いや担当地区を行脚したということだ、その流れとして、高田専修寺にもということなのだろうが。
本堂の入り口近くに「びんずる尊者」がある。触るとそのところを快癒してくれるという言い伝えで、多くの人が触っていくから、顔など表情はもうない。磨り減ってしまっているのだ。私は、めったにしないことだが、今回ばかりは体調を崩しているので、おなかを触ってきた。(ご利益だろうか、松本に到着以降はおなかの調子も戻ってきているよ)
それにしても、顔の表情がなくなっているということは、お顔が不自由な方がいかに多いかということなの?
** 次回は、 善光寺境内のその2 親鸞関連 **
** 今日の 私の記事 **
1:旅の記録 善光寺・びんずる尊者
2:自生のテッポウユリ
3:つゆくさ
4:うるさいセミを撮った