2007年08月08日
旅の記録 松本へ 善光寺・親鸞の足跡 1
2005年5月13日 5日目
上越市から松本市へ、 善光寺 親鸞の足跡 1 地図はこちら
善光寺の本堂を出て、親鸞聖人ゆかりのものを探す。本堂した右に(本堂に向かって左)に制服の係官が二人たっている。たぶん参拝者からの質問などに答え、案内をする役目を負っているのだろう。
声をかけて親鸞聖人が逗留されたと書かれたものがあったはずだがとたずねると、知らないとのこと。その代わりに親鸞の銅像があって、松の葉を持っているのがすぐそこにあるよとのこと。指を指されたほうを見ると、確かに何かを手に建っている銅像がある、
ご案内にしたがってそちらの方向に行くが、その前にもう少し右手にあるお堂のほうに歩いていった。経堂である。八角?のマニ車がある。これには一切経が入っていて、これを回すと一切経を全部読んだことになるって・・・昔から忙しい人が多かったのか、楽したい人が多かったのか。。。それ以上に文字の読めない人が多かったことが、読んだことしてあげなくてはいけない状況だったのだろう。もっとも今の私も、あの訳のわからない漢字の経なんて読めやしないや。そのためには回してこなければいけなかったかな?
ちょっと待てと、今思い出したぞ、親鸞聖人は、一切経などの経典を望んで稲田に向かったという記述が多いのだが、ここ善光寺にあるのではないのか。ここで聖人は、研究できなったというのか。どうも学者の論説は、史実と一致しているのか疑問が大いに出てくるのだ。
横目でそのマニ車を見て、親鸞の銅像の正面に向かう。非常に珍しい。聖人の銅像は、普通は傘を被った旅姿のだが、ここの像は旅姿ではなく手に松の葉を持った立ち姿だ。これは旅はしない姿だ。どこのどんな古文書がこうした姿のヒントになっているのやら。大体、善光寺逗留の公式文書はないはずなのだが。
まあ、大体が、寺の古文書を公式というかどうかが問題だ。歴史学者や宗教学者はひとつの古文書だけでは公式と認めないとのこと。必ず傍証がなければ何事も史実として断定されないようなことがどこかに書かれていた。しかし、しかし・・・・・
親鸞は、有名人であったのか? いかがなものでしょう。
この銅像の前に長野市の小学生がたくさんいた。社会化の授業でいろいろと調べているとのこと。引率の先生が簡単に説明をしているが、まだ彼らは親鸞という人物そのものを知らないのだ。
話をしていて、「親鸞って義経とも関係あるんだよ。同じ時代であるし、親鸞のお母さんは源氏の人って話もあるんだよ。」なんてことを話した。彼らは 「へぇ」 といったところだ。おそらくTVの義経を見て、思い出したりする子もいるかななどと思いながら。
** 次回は 善光寺境内 親鸞100日逗留の標示 **
上越市から松本市へ、 善光寺 親鸞の足跡 1 地図はこちら
善光寺の本堂を出て、親鸞聖人ゆかりのものを探す。本堂した右に(本堂に向かって左)に制服の係官が二人たっている。たぶん参拝者からの質問などに答え、案内をする役目を負っているのだろう。
声をかけて親鸞聖人が逗留されたと書かれたものがあったはずだがとたずねると、知らないとのこと。その代わりに親鸞の銅像があって、松の葉を持っているのがすぐそこにあるよとのこと。指を指されたほうを見ると、確かに何かを手に建っている銅像がある、
ご案内にしたがってそちらの方向に行くが、その前にもう少し右手にあるお堂のほうに歩いていった。経堂である。八角?のマニ車がある。これには一切経が入っていて、これを回すと一切経を全部読んだことになるって・・・昔から忙しい人が多かったのか、楽したい人が多かったのか。。。それ以上に文字の読めない人が多かったことが、読んだことしてあげなくてはいけない状況だったのだろう。もっとも今の私も、あの訳のわからない漢字の経なんて読めやしないや。そのためには回してこなければいけなかったかな?
ちょっと待てと、今思い出したぞ、親鸞聖人は、一切経などの経典を望んで稲田に向かったという記述が多いのだが、ここ善光寺にあるのではないのか。ここで聖人は、研究できなったというのか。どうも学者の論説は、史実と一致しているのか疑問が大いに出てくるのだ。
横目でそのマニ車を見て、親鸞の銅像の正面に向かう。非常に珍しい。聖人の銅像は、普通は傘を被った旅姿のだが、ここの像は旅姿ではなく手に松の葉を持った立ち姿だ。これは旅はしない姿だ。どこのどんな古文書がこうした姿のヒントになっているのやら。大体、善光寺逗留の公式文書はないはずなのだが。
まあ、大体が、寺の古文書を公式というかどうかが問題だ。歴史学者や宗教学者はひとつの古文書だけでは公式と認めないとのこと。必ず傍証がなければ何事も史実として断定されないようなことがどこかに書かれていた。しかし、しかし・・・・・
親鸞は、有名人であったのか? いかがなものでしょう。
この銅像の前に長野市の小学生がたくさんいた。社会化の授業でいろいろと調べているとのこと。引率の先生が簡単に説明をしているが、まだ彼らは親鸞という人物そのものを知らないのだ。
話をしていて、「親鸞って義経とも関係あるんだよ。同じ時代であるし、親鸞のお母さんは源氏の人って話もあるんだよ。」なんてことを話した。彼らは 「へぇ」 といったところだ。おそらくTVの義経を見て、思い出したりする子もいるかななどと思いながら。
** 次回は 善光寺境内 親鸞100日逗留の標示 **