2007年08月09日
旅の記録 松本へ 善光寺・親鸞の足跡 2
2005年5月13日 5日目
上越市から松本市へ、 善光寺 親鸞の足跡 2
山門を出て、南に歩いていく。本当に人通りがない。駐車場が本堂の北にできたのでは、観光客はこちらには流れてこないよなぁ。あれは誰が造ったのか知らないけれど、門前町には金が落ちないよ。長野市の損失だ。駐車場代を稼いでも、本来のみやげ物を買ってもらえないのでは、計算は違ったものだ。
宿坊の並んだところで、やっと親鸞の文字を見つけた。これを前に来たときに見て「うっそぉ。何でここに親鸞が?」と叫んだものだ。この看板がかかっている坊は「常照坊」というようだ。また「宝物 親鸞聖人筆笹文字御名号」という板もある。できれば拝見できないものかと思ったが、何か拒否反応を示されている雰囲気に呑まれて、あきらめてきた。
とにかく、このようなものが残されているとはいえ、歴史上の話題にぼることはあるのだろうか。論文の中に見ることができるのだろうか。インターネット上での検索では、ただ一つの寺院が取り上げているに過ぎず、情報はないに等しい。
常照坊の場所
とにかく情報のない親鸞だ。関東から京都に帰ってからは、それなりに御文、消息があるので、ある程度の存在感があるのだが、それも真筆ではない。真筆として扱われているのは、津一身田の高田専修寺のもの位なのだろうが。公式文書に名を残していないだからこそ、多くの伝説がまことしやかに信じられるようになっているのかもしれない。
上越市教育委員会のN学芸員の話では、親鸞伝説のほとんどが江戸時代のものとのことだ。そして越後の真宗寺院は大谷派(=東)本願寺系が多いとか。そうした布教活動の一端に伝説を作り上げたということも考えられるとのことだ。その延長で行けば、有名になった本願寺の宗祖が善光寺にも逗留しているとなれば、格好な説得材料で、格式をあげるのにはもってこいの資料になるのだろう。しかし、長野の善光寺はこんな敢えての格式を上げるものは必要ないと思うのだが。
門前町に出てどうしようかと迷った。何を迷ったのかというと、せっかく長野に来て蕎麦を食べない手はないだろうと。ただ、まだ腹の具合は完璧ではないのだ。とはいえ、朝はろくに食べていないし、やっぱり食べるかと思って、一番近い店に入った。
まだ11時前だ。早いのは早い。そこで一番量の少ないのはととうと、盛り蕎麦とのこと、私の頭には「ざるそば」なのだが。どこがどう違ったっけ?という気持ちをよそに、どうでもいいやって。
出来上がりを待つ間に、目の前に「かんずり」の文字が。そういえば板倉から292号線に出てきたときのスーパーで、地元名物として「かんずり」の名前が並んでいたっけ。そのときは何も思わなかったが、ここへ気的になってきた。女主人に「何ですか」って聞いてみた。お答えは、「新井の名物で、唐辛子を寒さにさらして作るカラシです」とのこと。これで思い出した。そういえばいつか我が家にもあったことを。思わず一壜買うことにした。こんなことならあのスーパーで買ってくるんだった。壜にかかれた製造元「新井市」とあった。
肝心なそばは結構歯応えのあるものだったが、味はごく平凡。もう一度とはあえてはいわないだろう。
** 次回は、長野駅前から19号線に入ります **
上越市から松本市へ、 善光寺 親鸞の足跡 2
山門を出て、南に歩いていく。本当に人通りがない。駐車場が本堂の北にできたのでは、観光客はこちらには流れてこないよなぁ。あれは誰が造ったのか知らないけれど、門前町には金が落ちないよ。長野市の損失だ。駐車場代を稼いでも、本来のみやげ物を買ってもらえないのでは、計算は違ったものだ。
宿坊の並んだところで、やっと親鸞の文字を見つけた。これを前に来たときに見て「うっそぉ。何でここに親鸞が?」と叫んだものだ。この看板がかかっている坊は「常照坊」というようだ。また「宝物 親鸞聖人筆笹文字御名号」という板もある。できれば拝見できないものかと思ったが、何か拒否反応を示されている雰囲気に呑まれて、あきらめてきた。
とにかく、このようなものが残されているとはいえ、歴史上の話題にぼることはあるのだろうか。論文の中に見ることができるのだろうか。インターネット上での検索では、ただ一つの寺院が取り上げているに過ぎず、情報はないに等しい。
常照坊の場所
とにかく情報のない親鸞だ。関東から京都に帰ってからは、それなりに御文、消息があるので、ある程度の存在感があるのだが、それも真筆ではない。真筆として扱われているのは、津一身田の高田専修寺のもの位なのだろうが。公式文書に名を残していないだからこそ、多くの伝説がまことしやかに信じられるようになっているのかもしれない。
上越市教育委員会のN学芸員の話では、親鸞伝説のほとんどが江戸時代のものとのことだ。そして越後の真宗寺院は大谷派(=東)本願寺系が多いとか。そうした布教活動の一端に伝説を作り上げたということも考えられるとのことだ。その延長で行けば、有名になった本願寺の宗祖が善光寺にも逗留しているとなれば、格好な説得材料で、格式をあげるのにはもってこいの資料になるのだろう。しかし、長野の善光寺はこんな敢えての格式を上げるものは必要ないと思うのだが。
門前町に出てどうしようかと迷った。何を迷ったのかというと、せっかく長野に来て蕎麦を食べない手はないだろうと。ただ、まだ腹の具合は完璧ではないのだ。とはいえ、朝はろくに食べていないし、やっぱり食べるかと思って、一番近い店に入った。
まだ11時前だ。早いのは早い。そこで一番量の少ないのはととうと、盛り蕎麦とのこと、私の頭には「ざるそば」なのだが。どこがどう違ったっけ?という気持ちをよそに、どうでもいいやって。
出来上がりを待つ間に、目の前に「かんずり」の文字が。そういえば板倉から292号線に出てきたときのスーパーで、地元名物として「かんずり」の名前が並んでいたっけ。そのときは何も思わなかったが、ここへ気的になってきた。女主人に「何ですか」って聞いてみた。お答えは、「新井の名物で、唐辛子を寒さにさらして作るカラシです」とのこと。これで思い出した。そういえばいつか我が家にもあったことを。思わず一壜買うことにした。こんなことならあのスーパーで買ってくるんだった。壜にかかれた製造元「新井市」とあった。
肝心なそばは結構歯応えのあるものだったが、味はごく平凡。もう一度とはあえてはいわないだろう。
** 次回は、長野駅前から19号線に入ります **